戸山翻訳農場

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Just Kids by Patti Smith                    桑垣孝平

 

 とても有名な写真がある:

 

 

被写体になっているのは、パティ・スミスという女性である。1946年にシカゴで生まれ、本をたくさん読んで育ち、紆余曲折あって、「パンクの女王」として知られるミュージシャンになった。今も存命で、2010年にはこの本 Just Kids で全米図書賞を受けた。写真を撮影したのは、ロバート・メイプルソープという男性。1946年に生まれ、ロングアイランドの敬虔なカトリックの家庭で育ち、彼も紆余曲折あって、エロティックな作品を撮る写真家になった。エイズにかかり、1989年に亡くなった。ふたりはニューヨークのアパートを転々としながら、共に20代を過ごした。

 

 本書においてパティは、二人の出会いから死別までの時間を、触れば壊れてしまいそうなくらい細やかに描き出している。パティはあとがきにこう記している。「誰にもこのふたりの若者を代弁できないし、彼らが一緒に過ごした日々を語れない。それは、ロバートとわたしにしかできない」― Just Kids の読者はきっと、この本がパティからメイプルソープに宛てられたラブレターだと感じるはずだ。一緒に訪れた場所、出会った人、聞いた曲、買ったもの、着た服、あるいは、日付まで ― パティは、彼とのすべてをひとつひとつ、ていねいに書き出してゆく。いくら微細なものであったとしても、おそらくパティにとってそれらディティールのそれぞれは、メイプルソープと過ごした時間を語るために欠けてはならないものなのだろう。


 1967年の夏 ― ジョン・コルトレーンが死に、アメリカの各都市で黒人暴動があり、中国で初の水爆実験が行われた夏 ― パティはメイプルソープに出会った。どちらもお金のない芸術家志望だった。彼らは芸術学校プラット・インスティテュートの近くにアパートを見つけ、ふたりで暮らし始める。ここから10年ほどの間に、彼らは引越しをくりかえす。アラートンホテルへ、チェルシーホテルへ、オアシスバーの上にある部屋へ、別々の部屋へ、そして、別々の土地へ―。それぞれの場所での経験のすべてを、彼らはかけがえのないものにしてゆく。

 

 特にチェルシーホテルは、ふたりにとって大切な場所だった。ふたりは、芸術を志す仲間に、ウォーホールの「シマ」だったナイトクラブマックシズ・カンザスシティ」に、あるいは、サルバドール・ダリに出会う。ホテルの近くには、日本の大学の学食のようなカフェがあった。ガラスケースの中に食べ物が並び、客は55セントを投入して、ガラスケースを開ける。ある日、パティがなけなしの55セントを投入すると、ケースが開かない。値段が65セントに値上がりしていたのだ ―「どうしました?」やさしい声がして、ふり返ると、アレンギンズバーグが立っていた。ふたりは食事をのせたトレイを持って、同じテーブルにつき、自己紹介をかわした。

 

「え、女の子なの?」と、彼は言った。

彼は笑った。「いやあ、申し訳ない。とっても可愛らしい男の子かと思ってたよ」。


左からカール・ソロモン、パティ・スミス、アレン・ギンズバーグ、ウィリアム・バロウズ
左からカール・ソロモン、パティ・スミス、アレン・ギンズバーグ、ウィリアム・バロウズ


 ―こうした出会いが、チェルシーホテル周辺では当り前だった。そして、アートコミュニティでそれぞれの場所を見つけてゆくにつれ、ふたりの関係は、少しずつ変化してゆく。メイプルソープは、デイヴィッド・コロランドという男性に出会い、精神的にも、肉体的にも、強く惹かれる。パティもまた、劇作家サム・シェパードに出会い、友だち以上の関係を築く。そして、ふたりの芸術家としてのキャリアも離陸をはじめる。パティは詩人として、メイプルソープは写真家として―。

 

 ふたりも自分たちの関係がゆっくりと変遷していることに気付いていた。しかし、こうした経験が、ふたりの関係を成熟させてゆく。1972年、チェルシーホテルのあったマンハッタンから離れる時、ふたりは部屋の中で手をつなぐ。次の引越しで、近くではあるものの、別々に暮らすことが決まっていた。

 

わたしたちは同じことを考えていた。あまりにたくさんのことを経験したのだ。いいことも、わるいことも。でも、心は穏やかだった。ロバートはわたしの手をぎゅっとにぎった。「悲しい?」と、彼はたずねた。

「準備ができた」と、わたしは答えた。

 

 詩人として生きてゆくことと同時に、パティは、メイプルソープを変わらず愛してゆくことの「準備ができた」のだろう。そして、メイプルソープもまた、「同じことを考えていた」。1979年、パティはニューヨークを離れる。そして、MC5のギタリスト、フレッド・ソニック・スミスと結婚し、子供をもうける。メイプルソープは、サム・フラグスタフというパトロンと共に活動を続け、写真家として大成する。二人が再会するのはメイプルソープの晩年、1986年のことだ。しかし、この時、長らく会っていなかったはずの二人の間には、20代の頃に「準備ができた」心的なつながりが、確かに維持されていたのである。

 

 最初に紹介した写真が撮られたのは、1975年のことだ。パティのファーストアルバム『ホーセス』のジャケットである。決めていたのは、パティがシミのないまっ白なシャツを着てくることだけだった。メイプルソープは、彼女のシャツを気に入り、ジャケットを脱がせた。彼女はフランク・シナトラ風に、そのジャケットを肩にかけた ―すべてはインプロヴィゼーションで進んでいった。この写真について、Just Kids の中でまれな現在形を用いて、パティはこう書いている。

 

今見てみると、写っているのはわたしではない。わたしたちだ。