戸山翻訳農場

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ブログ



2012年

4月

02日

It Chooses You by Miranda July                 岡野桂

「誰かとともに生きること」

 

 It Chooses Youはミランダ・ジュライのフォトノンフィクション作品である。小説短編集『いちばんここに似合う人』と同じように、心の無防備なところにそっと触れられるような苛立たしくも繊細な言葉をジュライは紡いでいく。この作品では、彼女が脚本を手がけ、ヒロイン・ソフィー役を演じ、監督を務めた長編映画 The Future の製作過程が描かれている。人とのつながりがテーマになっているのだ。

 地球とか世界とか経済とかといった大きなことを口にしてしまいがちであるけれど、いったい世界について何を知っているのだろうか。インターネットに接続すれば、世界中のニュースが閲覧できるし、動画サイトやブログやSNSを覗くと人々が何を考えるかわかった気がする。たしかに、それらは世界を形作っている1つではあるだろう。It Chooses You は、そのような現在のあたりまえから少しずつズレてゆく。ふと、郊外にある小さな駅で途中下車して、見ず知らずの町に迷い込んだときに似た感覚。本当にここは東京都なのだろうか、地名は知っているのだけど右も左もわからない不安な状態である。パソコンから離れてロサンゼルスのあちこちを訪れるジュライも、「パラマウントは、私の知っているロサンゼルスの完全に外だった。GPSが言うとおりに私は運転し、そこに着いた。私の住んでいるところよりも暑く、新舗装用土砂によってかろうじて砂漠が隠れている。」このような感覚に陥るのである。

 なぜロサンゼルスを巡ることになったのか。ミランダ・ジュライは映画の脚本を書きあぐね、何度も何度も書き直していた。執筆に行き詰ると、インターネットで自分の名前を検索して(グーグリング)、いま直面している問題の答えが密かに載っていないか調べたり、動画サイトを見たりして時間を潰しては、インターネットができるまえの時代に脚本家になりたかったと、愚痴をこぼす。そのような生活における彼女の楽しみは、毎週火曜日に配達される『ペニー・サーバー』というフリーペーパーを熟読することだ。この冊子にはガレージセールの情報が掲載されている。

あるとき、ジュライは、レザージャケットの販売広告に目をとめる。あれこれ逡巡した挙句、彼女は売り手に電話をかけてしまう。もちろん、そのジャケットが欲しかったのではない。販売広告掲載主である、見ず知らずの人間に対するジュライの妄想がかきたてられたのだ。「ロサンゼルスの誰かがジャケットを売っているのだ。このジャケットは革製。ラージサイズでブラック。この人はこれに10ドルの値打ちがあると考えたのだ。だけど、この人はこの値段にあまり自信がないらしく、喜んで値下げの相談にも応じるみたいだ。私は、このレザージャケットの人が考えていることをもっと知りたいと思った。広告主たちはどうやって過ごしているのか、何を願っているのか、何を恐れているのか――しかし、そんな情報については何も書かれていなかった。書かれていることは、その人の電話番号だった。」彼女は、仕事から逃避するように電話をかける。その売り手との通話中、突然、ジュライは50ドルで、あなたの家でインタビューさせてほしいと持ちかけるのだ。驚くべきことに売り手もそれを快諾してしまう。それ以後、大半の売り手からはインタビューの依頼を断られてしまうのだが、こうしてジュライは面識もなにもない10名の人間たちに次々とインタビューをしていくことになる。その時々に撮られた写真とインタビューが It Chooses You ではつづられているのだ。

 このような突飛な企画を敢行するミランダ・ジュライがどんな女性なのかを少しばかり知っておくと、本書をより楽しむことができるだろう。ジュライは、1974年、アメリカ合衆国バーモント州バリー生まれ。現在の活動拠点であり、本書の舞台でもあるカリフォルニア州のバークレーで育った。カリフォルニア大学サンタクルーズ校に進学するのだが、2年生のときに退学して、オレゴン州ポートランドに移り住む。そこで「ライオット・ガール(Riot Grrrl)」というフェミニズムとパンク・ロックを融合させたムーブメントに触発されて、いまの彼女に通じる多彩なパフォーマンス活動を始める。96年に処女短編映画作品 Atlanta を発表。オリンピックを目指す十二歳の少女とその母親を描いたもので、ミランダ・ジュライがその二役を演じている。2004年には『フィルムメーカー・マガジン』誌で、「インディー・フィルム注目のニューフェイス25」の1人に選ばれる。05年に『君とボクの虹色の世界 (Me and You and Everyone We Know) 』で脚本、監督、主演を務め、カンヌ映画祭でカメラ・ドールほか4賞を受賞する。作家リック・ムーディーの勧めで小説を書くようになり、『ニューヨーカー』や『パリス・レビュー』などに短編作品が掲載されるようになった。それをまとめたものが『いちばんここに似合う人』であり、2007年のフランク・オコナー国際短篇賞を受賞した。本書でも少し触れられているが、2009年に映画、音楽ディレクターのマイク・ミルズと結婚している。

ジュライは言う。「知らない人のブログは毎日読まれていくが、ウェブ上で存在を持たない隣人はどんどんほとんどマンガみたいになっていくだろう、まるで立体感を失っていくように。」「あたかも、私が感じたり、想像したりできるものの範囲は地味に、世界のなかのある世界によって制限されてしまっていると思うと怖かった。インターネットだ。ウェブの外にあるものは私から遠ざかっていってしまい、そして、内側にあるものは全部突き刺さすような関係性があるのだ。」

手で触れられる距離でインタビューする売り手たちは、気持ちのよい人間ばかりではない。当然ながら、ミランダ・ジュライにとってだけれども、早く帰りたいと思ったり、不快に思ったりすることが何度もあった。それでも、ジュライは次のインタビュー相手を探す。売り手の人生に興味を惹かれるからだ。

最後になる10人目のインタビューはジョーという男性だった。彼は手作りのポストカードを出品していた。ペンキ塗りの仕事を引退した老人である。妻とともにロサンゼルスに住んでいる。ジョーとのインタビューを終えたジュライは、彼に映画に出演してくれないかと打診する。

ジョーは俳優の仕事を引き受けるのだが、すぐに癌に侵されていることがわかり、余命があと二週間しかないことが医者から告げられる。急遽、ジョーの出演するシーンだけを優先して撮影することになる。ジュライは、ジョーには演技やリハーサルをせずに、素のままの彼で出演してくれるように頼む。脚本の大枠や物語を進展させるためにキーとなる言葉だけを伝え、あとはジョーの即興にまかせてシーンを撮影していく。

撮影現場で編集作業中、ジョーは、ノートパソコンのディスプレイに映し出される自分の姿を見つめる。それに気づいたジュライが言う。「ここで自分の姿を見るのって、変な感じよね?」ジョーは答えるのだ。「俺がこんなにも年老いていたなんて、知らなかったなあ」と呟くのだ。自分の顔を直接眺めることはできないのだが、テクノロジーを通して見出される自分は客観的に見える。 The Future のソフィーもまた自分がダンスする姿を撮影し、「You Tube」にアップロードしていく。ディスプレイの向こう側に映る自分も紛れもない自己である。しかし、実感として捉えられていた自分とは異なった自己。いまある自分から引き剥がされてしまったかのような自己は何者なのか答えることは難しい。それでも、インターネット上で認知される自己だけが、他人からわかってもらえる自分だとしたら、その違和感を覚える自己だけが本当に存在する自分になってしまうのだろうか。

 映画を撮り終えたときに、ジョーはすでに亡くなっていた。ミランダ・ジュライは、完成したことを報告するためにジョーの家に電話をかけたときに、その訃報を妻のキャロラインから告げられる。そして、11人目のインタビューとしてジョーの妻キャロラインの話が語られる。この夫婦の思い出話を聞きながら彼女は、結婚について、人との出会いについて思いをめぐらせずにはいられない。「どうして人は結婚するかという理由の1つはおそらく、語るに足る「物語」を生みだすためだろう、と私は思った。(中略)だけど、一緒にいても、1人でいても、私たちは万華鏡の中に依然として埋め込まれている。無情にも変化に富み、とどまることがない、最期が終わるまで。わかっている。一時間もすればこのことを忘れてしまうだろうし、また思い出す、それからまた忘れて、思い出す。私が思い出すたびに、それは些細な奇跡が起きているのかもしれない。忘れることも同じくらい大切なのだ――私自身の物語を信じなきゃならなかったのだ。」

ジュライの思考は1つの結論にたどり着く。「語るに足る物語」を紡ぐこと。それは他人に自分を理解してもらえるもう1つの手段だ。「語るに足る物語」とは他人が時間を割き、耳を傾けてくれるだけの話である。インタビューされるに足る人生を歩んできただろうか。結婚すると、他人と人生の時間と記憶を共有しなければならない。その中で、自分たちの物語と胸を張って話せる物語を作っていく。だが、それは結婚相手とだけではない。時間を共有して、話をした他人もまた自分を形作る。「私は心から出会ってきた人たちを紹介したければ、私はいつかある種のノンフィクション作品として書かなければならないだろうということをわかっていた(その日が来たのだ)。」

インタビューした他者との触れ合いの記憶、1つ1つが「語るに足る物語」なりえるのである。It Chooses You を読み、 The Future を観ることで、ミランダ・ジュライの「語るに足る物語」の一部を見ることができる。ジュライの作品に接したときにわき上がる、ざわつくような感覚や、心の奥を触れられるような気持ち悪さの原因はここにあるのではないか。それは、生身の他人と触れ合った記憶が下敷きになっているからこそ、読者自身の記憶を触発し、喚起させるのだ。他者との経験は、それは嫌な思い出だったり、苦痛に満ちた失敗であったり、孤独を感じさせる失恋であったり人それぞれであり、様々だろう。ジュライの作品は、それらの記憶を生々しく蘇らせる。彼女の言葉を借りれば「思い出」させてくれるのだ。