戸山翻訳農場

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Canada by Richard Ford                   桑垣孝平

 まずは、両親が起こした強盗事件について語ろうと思う。それから、その後に発生した殺人事件について。(…)まずは強盗事件について語らなければ、ひとつも筋が通らない。

 

 リチャード・フォード『カナダ』はこんな風に始まる。かっこいいと思いませんか!物語が始まってわずか二文の内に、“robbery” という単語と “murder” という単語が登場するのである。

 

 物語の語り手は、デル・パーソンズという男性。現代を語りの地点として、1960年の夏~秋、彼がまだ15才だった頃が語られる。1960年夏、デルはモンタナ州(アメリカの中西部の州、北側はカナダとの国境)のグレイト・フォールズという町に、父親のビヴ、母親のニーヴァ、双子の姉バーナーと一緒に暮らしていた。ビヴは、空軍のパイロットを退役し、いくつかの仕事を経験した後、ネイティヴが盗んだ牛肉を、鉄道の食堂車に売るという仕事(というよりも、犯罪)で、金を稼いでいる。ユダヤ人であるニーヴァは、学校の教師であり、子供たちを深く愛している。最近、素行が良いとは言い難いボーイフレンドを作ったバーナーは、双子の弟より精神的にも肉体的にも成長が早く、思春期の真っ盛り。デル本人は、まだまだ少年らしさを残しており、チェスと養蜂に興味津々で、9月から始まる高校生活を楽しみにしている。

 

 彼らは、父親の仕事を除いて、とてもありふれた家族である。そんな家族に、夏のある日、悲劇が起こる。父親と母親が銀行強盗を犯し、逮捕されてしまうのである。きっかけは、ビヴが行っていた牛肉の密売。取引をしていた食堂車の人間にとんずらされて、ネイティヴに金を払えなくなったビヴは、妻と一緒に罪を犯してしまうのである。子供たちは二人だけで家に取り残されることとなる。しばらくして、バーナーがふらりと家を経ち(二人の再会は50年後のことだ)、デルがひとりぼっちになる。そこに、ニーヴァの友人ミルドレッドがやってくる。ミルドレッドは、彼(とバーナー)が孤児院に入れられてしまう前に、彼らを連れ出しに来たのである。デルは状況をつかめぬまま、ミルドレッドの車に乗せられ、カナダに向かうこととなる――穏やかだった夏休みは、家族の崩壊と共に終わってしまう。

 

 第二部では、デルのカナダでの生活が描かれる。グレイト・フォールズの愛に満ちた家の中から、サスカチュワンの厳しい大自然に、景色が一変する。冒頭から、シカやフクロウやコヨーテ、ガチョウなど、動物がたくさん登場する。或いは、メティス(ネイティヴとフランス人のハーフ)の人物が紹介され、スウェアリング(=汚い言葉)を連発する。今までとはまったく違う環境で、デルは、ミルドレッドの弟であるアーサーが経営する安ホテルで働くこととなる。小説の冒頭で預言された殺人事件を起こすのは、このアーサーという元アメリカ人だ。フィッツジェラルドのギャッツビーを思わせる人物で、おしゃれで人を楽しませることが好き、けれども、どこか陰のある人物。彼は、実は、アメリカに住んでいた頃、政治運動をきっかけとして、デトロイトの工場労働者を一人殺してしまった殺人犯なのである――つまり彼もまた、デルのように、カナダへ逃げてきたアメリカ人なのだ。物語の終盤、アメリカから、元警察とデトロイトにおける殺人事件の被害者の息子が、アーサーを追いかけてくる。そして、アーサーは彼らをピストルで撃ち殺す。アーサーは、その時も、いつも通りの正装だった。

 

全部で五発。ぽん、という音が五回。アーサーは被害者を見下しながら、ピストルをジャケットの内ポケットに収めた。(…)彼はそれからふり返り、開け放たれた扉の外、真っ暗で雪のちらつく空間に目をやった(…)

 

『カナダ』は、成長、家族の絆、不条理、アメリカとカナダ、白人とネイティヴなど、さまざまな事柄をテーマにとる。しかし、その中でも中心的なテーマの一つとして、「自由」が挙げられるように思う。アメリカ人は、人生に行き詰まった時、さまざまな場所に逃避する。東部へ、西部へ、メキシコへ、ヨーロッパへ、あるいは、アジアへ。そして、この小説に登場するアメリカ人たちの場合は、カナダへ逃避するのである。アメリカ人たちが、例えば、南=メキシコへの逃避に、太陽や美しい女性など「明るさ」や「楽しさ」を求めているとすれば、北=カナダへの逃避には、深淵な森やハンティングなど、「孤独」或いは「暗さ」を求めている、と言えるかもしれない。

 

 1960年という時代も手助けしているのだろうが、結局、アーサーの殺人事件は、ばれないまま終わったようである。そして、死体を土に埋める手伝いをしたデルもまた、そのまま教師として自立し、老後を迎えることとなる。小説の最終部で、デルは何十年も前にアメリカ人の死体を埋めた場所に帰ってくる。そこはただの地面であり、驚くようなことはなにもない。カナダの大自然は殺人事件の被害者をすっかり土に返し、呑み込んでしまったのである。デルはこの時、両親の強盗と近しい人の殺人という経験を、長い時間をかけて咀嚼し、過酷な記憶から自由となった自らを、カナダの土地と重ね合わせたのではないだろうか。