戸山翻訳農場

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2012年

7月

01日

Then Again by Diane Keaton                 菅野楽章

 


 文法的に言えば「最も唯一無二」とか「すごく唯一無二」とかいうのは正しくないけど、やっぱり、ダイアンは僕が知るなかで最も唯一無二な人だね。風変わりっていうふうにも言えるかもしれないけど、彼女は、やっぱり、彼女は本当に独特だよ…そう思う。

 


 

 これは、2007年にニューヨークのリンカーン・センターで催されたダイアン・キートンを讃えるイベントでウディ・アレンが語った言葉で、ダイアンの回想録Then Againにも引用されている。ウディ・アレンのように、ダイアンと深くかかわった人であれば、さまざまな面で彼女の独特さを知っているのだろうが、そうではないわれわれも、その独特のファッションセンスは知っている。ネクタイ、帽子、ダブダブのパンツ―メンズアイテムを取り入れた「アニー・ホール・ルック」は特に斬新で(本人は当時のニューヨークのクールな女性が着ていたのを真似しただけだと言っているけれども)、1970年代後半のファッションに大きな影響を与えた。

 

 アカデミー主演女優賞も獲得した『アニー・ホール』で彼女が演じたアニー・ホールというキャラクターは、ある程度(あくまである程度)ダイアン自身を反映したものである。ダイアン・キートン(Diane Keaton)の本名はダイアン・ホール(Diane Hall)といい、父親からは「Diannie(ダイアニー)」と呼ばれていた。

 

 キートンというのは彼女の母親の旧姓である。名前を変えたのは、ダイアン・ホールという名の女優がすでにいたからということだが、結果的にこの名前になったのは象徴的なことのように思える。ダイアンは母親のドロシーのことを「わたしの人生で最も重要で、最も影響を受けた人」だと言い、さまざまなことを―名前だけでなく―引き継いでいるのである。ジョービジネス(ドロシーは「ミセス・アメリカ」などのオーディションに出場していて、ダイアンはそれを見て自分も舞台に立ちたいと思ったのだという)、写真の撮影、そして書くこと。

 

 「書く」ことはこの本の中で重要なテーマのひとつになっている。ドロシーはとにかく「書く」人だった―日記(写真などを組み合わせたコラージュ)を85冊も残すほどに。アルツハイマー病にかかったあとも、彼女は書きつづけた―パラグラフを書けなくなったらセンテンスを、センテンスを書けなくなったら単語を、単語を書けなくなったら数字を。

 

 ドロシーは2008年にこの世を去る。しかし、お母さんはいまもそこにいる、言葉を通してわたしたちの家族の記録を残そうとしている、とダイアンは言う。だからこの回想録を書いたのだと。「すべての人が自伝を書くように強いられるべきだ」と考えながら自身はそれを果たせなかった母の思いを引き継ぎ、ダイアンは「わたしの回想録」ではない「わたしたちの回想録」を書いたのである。

 

 この本は、ダイアンの言う通り、自身の回想録と母のノートや日記を組み合わせた作品だ。さらに、手紙、弟の書いた詩、映画のスクリプト、さまざまな写真なども挿入され、まさに「コラージュ」といえるものになっている。特に、白黒やセピアの写真の使い方はさすがで(『マンハッタン』のイメージがあるためか、ダイアン・キートンは白黒が良く似合うように思う)、表紙も含めヴィジュアル的にも楽しめる。

 ダイアン自身の回想については、だいたい時系列に沿って語られていく。カリフォルニアでの生い立ち、ニューヨークの演劇学校、オーディション、『ヘアー』、『ゴッドファーザー』、ウディ・アレン、ウォーレン・ベイティ、アル・パチーノとの交際、『ファースト・ワイフ・クラブ』、『恋愛適齢期』…。

 

 きらびやかな経歴に見えるけれど、決してすべてが順風満帆だったわけではない。仕事のない時期、作品に恵まれない時期もあった。そして、キャリアの初期には過食症にも悩まされていたという―12万キロカロリー、食べては嘔吐を繰り返す日々、低血糖、胸やけ、消化不良、生理不順、低血圧、咽喉炎。

 

 過食症に陥った原因には、容姿に関してのコンプレックスがあったという。ダイアンは「美」へのこだわりが昔から強かったようで、この本の中でもたびたび語られている。(「ティーンエイジャーになる前から、なにかがおかしいと思っていたお母さんのバスルームの鏡の前で何時間も笑顔の練習をした。そうすれば欠点を隠せると思ったのだ」「(オードリー・ヘップバーンの写真を見て)11歳のわたしの体には悩ましいところがあると気付きはじめた」)。

 

 あるいはこれも母のドロシーから引き継いだものなのかもしれない。ドロシーは、生後まもなく撮られたダイアンの写真を見て、写りの悪さを嘆いていたのだという。ひねくれた見方をすれば、そういった母の気持ちが無意識のうちに呪縛になっていたとも考えられる。

 

 だが、ここではそのような考え方はしたくない。これも母の愛だと考えたい。というのは、この本からは、ダイアンの母への愛がまぎれもなく感じられるからである。それに、彼女の語り口はとても明るい。多くの映画でのイメージと同じように、ユーモアがあり、親しみやすい人柄が伝わってくる。

 

 おそらくこれには2人の養子(デクスターとデューク)の存在も影響しているのだろう。子供たちをめぐる微笑ましいエピソードは随所に盛り込まれ、この本に―そしてダイアンの人生に―彩りを与えている。ダイアンが最初の養子デクスターを迎え入れたのは1995年。この年はドロシーのアルツハイマーの症状がはっきりとあらわれはじめた時期でもあった。ダイアンはこう言っている。「わたしは2つの現象をますます熱心に見守るようになっていた。ゆっくりはじまっていく命と、暴虐なアルツハイマーに支配されてそれ以上にゆっくり終わっていく命」。だんだんと母を失っていく一方で、こんどは自らが母になっていく。そのように「母」を引き継いでいくことが、ここには描かれている。