戸山翻訳農場

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Swamplandia! by Karen Russell                和田惣也

   Welcome to the Swamplandia!

  ―フロリダのアリスは、ワニと旅をする―

 

 もしもわたしが、この本はアメリカの南部を舞台にした家族の物語であり、語り手は13歳の女の子だ、という風な紹介をしたなら、あなたはきっと、フォークナーのヨクナパトーファサーガやカポーティの一連の南部ものといった小説を思い浮かべることだろう。しかし、カレン・ラッセルが『スワンプランディア!』で描くアメリカ南部の姿は、そのどれとも違っている。タイトルにもあるように、物語の舞台となるのは、swampland(湿地)である。湿地は動物たちの王国だ。水辺には数え切れないほどの蚊が飛びまわり、それを求めて大きなトカゲやげっ歯目、鳥たちが集まってくる。そんな湿地の食物連鎖の頂点に君臨するのが、この小説において最も恐ろしく、それでいてチャーミングな動物、ワニたちである。語り手のエーヴァ・ビッグツリー(Ava Bigtree)は三人兄弟の末っ子で、兄のキーウィ(Kiwi、物語の中盤からは、彼の語りとエーヴァの語りが交互に繰り返されるようになる)、姉のオセオラ(Osceola、通称オシー)、父のチーフ(Chief, ちなみにカレンさんは、ビル・マーレイに彼の役を演じてほしいのだとか)、母のヒローラ(Hilola)と共に、スワンプランディア! (Swamplandia!)  というテーマパークを経営している。テーマパークとは言っても、スワンプランディア!はいわゆるディズニータイプのテーマパークとは全く異なる。スワンプランディア!は本土(mainland)、つまりフロリダ州、とは陸続きの場所になく、本土の人びと(mainlander)は、定期的に運行している連絡船に乗って、テーマパークへとやってくる。入場者たちがはるばる船に乗って来てまでも見たいと思っているもの、それこそがこのテーマパークのメインアトラクション、世界屈指のアリゲーター・レスラー(alligator wrestler)ヒローラ・ビッグツリーによるアリゲーター・レスリングである。

 

 湖は、濃い灰色と黒色のかたまりにびっしりと覆われていた。ヒローラ・ビッグツリーは空中で、ワニたちを避けられるように体をひねりながら、完璧な精密さでもって水面にぶつかる。チーフのスポットライトは、暗闇に向かって、氷の上の水滴みたいな光を投げかけ、ママはその光の輪の中で、湖の端から端までを泳いでまわる。観客たちはスポットライトの中に、ママとワニの姿を見つけると、決まってそれを指さし叫び声をあげた。太くてしなやかな尾が、突如として柔らかい波間を切り裂き現れ、怪物の顔についた金鋤が、彼女の側でカチカチと噛み合わされる。私たちのママは、水面に浮かぶ柵の門の具合を確かめているみたいに、スポットライトの光の中に現れては消えていく。

 水は黒い絹のように、しわが寄ったり、ひだになったりしていた。ママのストロークは段々と激しくなり、水を切り裂く彼女の息つぎや、空気を求めようとする息切れの音が、私たちにも聞こえてくる。チーフが闘鰐場のうえに張りめぐらせたスポットライトの白い網の上に、ときどき、石炭のように真っ赤な両目がひっかかる。長い3分、あるいは4分が経過し、遂に彼女は、舞台の東の端にかけられた梯子をつかむ。ゼイゼイと荒い彼女の呼吸にあわせて、私たちもみな息を吐き出す。舞台は、凝った造りのものではない。闘鰐場の上に吊るされた、6フィートの支柱にイトスギの板を乗っけただけの舞台に足をかけながら、ママは湖からあがってくる。震える手を、おへそのくぼみの上において、水を吐きだし、少しだけ手を振る。

 いまや観客席は、蜂の巣をつっついたような大騒ぎだ。

 

 太い尻尾を突き出し恐ろしい歯をむき出しにしたワニの群れの中を、ひとりの美女が巧みに泳いでまわる。そこには、3DCGも機械も入る隙間がない。身体能力だけを頼りにした、人と自然とのぶつかり合いこそが、スワンプランディア!のメインアトラクションだ。アトラクションのおかげで、スワンプランディア!は大繁盛だった。三人の子供たちも両親とともに経営に精を出し、ひっきりなしにやってくる本土の人びとに向かってポップコーンやグッズを売ったり、ワニの世話を手伝ったりして毎日を送っていた。もちろん、こんな風にしあわせな生活が、永遠に続くはずがない。不幸は、ある日突然一家を襲った。ヒローラ・ビッグツリーの体にガンが見つかったのである。ガンは泳ぎ回るワニたちよりも速い速度でヒローラの体を蝕み、発覚からほどなくして、彼女は命を落としてしまう。一番の稼ぎ頭を失ったテーマパークは、すぐに経営難に襲われた。遠のいた客足を戻すために行ったあらゆる努力も、たいした成果を上げなかった。途方に暮れる一家をさらなる不幸が襲う。スワンプランディア!のそばに、闇の世界(The World of Darkness)というテーマパークが開設されたのである。リヴァイアサンの形をしたジェットコースターをメインアトラクションに据え、入場者たちをさまよえる魂(Lost Soul)と呼ぶこの新しいテーマパークに、人々は熱狂した。ヒーローを失った古臭い湿地のテーマパークよりも、ハイテクな技術に守られ簡単に地獄めぐりができるテーマパークのほうが、よっぽど人々の心をひきつけたのである。

 やがてチーフはスワンプランディア!の閉鎖を決め、資金を調達するためにフロリダに商売にでかける。同じころ父と衝突したキーウィも家を出て、闇の世界でキャストとして働きはじめる。閑散としたスワンプランディア!に残されたオシーとエーヴァは、つつましい毎日を送っていたが、ある日オシーがエーヴァを残して、幽霊と駆け落ちしてしまう。母を亡くしてからというものオカルトや降霊術にのめり込むようになっていたオシーは、冥界に生きる彼女の恋人、浚渫技師(The Dredgeman)のルイス・サンクスギビング(Louis Thanksgiving)と挙式をあげるために、地下の王国(the Underworld)へと向かったのだ。ひとり取り残されたエーヴァのもとに、バードマン(the Bird Man)と名乗る男が現われる。彼は湿地における鳥の渡りの管理人で、首に下げた笛を鳴らすことで、自由自在に鳥たちを操ることができる。地下の王国への行きかたを心得ていると話すバードマンの言葉を信じ、エーヴァは最愛のペット赤ワニちゃん(the red Seth)とともに、オシーを追って地下の世界を目指す。ハックとジムよろしく粗末な船に乗って川を下っていくエーヴァとバードマン、そして赤ワニちゃんは、地下の王国の入り口である針の穴(the Eye of the Needle)と呼ばれる場所に辿り着く……。

 一方キーウィは、夜間学校に通いながら、テーマパークのキャストとしての生活を送っていた。スワンプランディア!の復興のために資金を調達しなければならないと焦る彼であったが、最下層のアルバイトである彼の賃金は、スズメの涙ほどのものであった。ところがある日、キーウィの目の前で、客の女性がおぼれてしまうという事件が起こる。見事、彼女を救い出した彼は、地獄の天使(Hell’s Angel)というニックネームをつけられ、マスコミからひっぱりだこの身になる。ヒーローとしての名声も手伝って、彼は念願であったテーマパークのパイロット見習いに選抜される。親分肌の司令官のもとで航空技術の腕を磨く彼に、ついに初フライトの日がやって来る……。

 

 以上が、この『スワンプランディア!』という小説のおおまかなあらすじであるが、もちろんこの小説には、あらすじを語るだけでは語りつくせないほどの魅力がつまっている。先に述べたように、この小説の語りは物語の中盤から二つに分岐する。湿地に残ったエーヴァがスワンプランディア!から、フロリダに家出したキーウィが闇の世界から、それぞれの物語を語るのである。語りが分岐すると同時に、そこに描かれる物語世界もまったく異なったものになる。エーヴァの語る世界と、キーウィの語る世界、それぞれの物語世界の魅力について見ていきたい。


 エーヴァの語る世界は、ゴシック・リアリズムとでも呼ぶべき、ホラーとユーモアとファンタジーによって構成された独特の物語世界である。著者自身が、フラナリー・オコナーやスティーヴン・キングのホラーとユーモアの感覚に影響を受けたと語っているように、この小説は恐怖小説としても一級品だ。真夜中、不穏な気配に目を覚ましたエーヴァの傍らで、オシーが霊に憑依されている場面や、おどろおどろしい地下の王国の描写などは、まさに南部のゴシック小説の伝統の上にあるように思える。ぶんぶんとうなる蚊の大群のように、湿地の中からにおい立つ恐怖、ただの恐怖などではなく、色と匂いと重さを持つ恐怖とでも形容すべき恐怖が、この小説にはある。語り手を13歳の少女に設定している点も効果的だ。著者がキングの最高の一冊と太鼓判を押す『トム・ゴードンに恋した少女』やテリー・ギリアム監督の『ローズ・イン・タイドランド』、あるいはギレルモ・デル・トロ監督の『パンズ・ラビリンス』、ヤン・シュヴァンクマイエル監督の『アリス』など、幼い少女を語り手に据えた物語は、ときに狂気をはらむ。語り手である少女たちは、想像力という眼鏡を通して、世界を眺めるのである。エーヴァが語る物語世界の中でも、わたしたちの考える常識ではとうてい信じられないような事件が次々と起こる。毎晩、幽霊とのランデブーを楽しむ姉や真っ赤な体で産まれてきたワニ、はるか昔に沈没してしまった幽霊船とともに現れるルイス・サンクスギビングや鳥たちを自在に操るバードマンの出現など、読者の心を躍らせるような出来事がこれでもかというほどに描写される。しかし奇妙なことに、わたしたち読者が、そこで語られる事件の信ぴょう性を疑うことはない。描かれた出来事は、不思議にリアルなのである。そこには、語り手が想像力豊かな少女という点に加え、もうひとつ、湿地という特殊な土地を舞台にしたという理由があるように思う。ウィリアム・フォークナーがヨクナパトーファという土地を創造し、ガルシア・マルケスがマコンドという村を創造したように、カレン・ラッセルはスワンプランディア!というテーマパークを創造した。そこでは、どんな摩訶不思議な出来事だって起こりうる。幽霊も、超人的な力を持つ人間も、赤い体をしたモンスターも、平等に物語に登場することができるのである。ゴシック的なホラーとマジック・リアリズムとの融合、カレン・ラッセルはそんな離れ業を見事にやってのける。

 

 エーヴァの世界が幻想に満ちた世界であったのに対し、キーウィの視る世界は限りなく現実的だ。生まれてこのかた、スワンプランディア!以外の場所に住んだことのないキーウィのフロリダでの体験は、少し大げさな言い方をすれば、自由で奔放な人間がcivilizeされていく体験であるとも言える。クーパーのレザー・ストッキングやトウェインのハックルベリー・フィンのように、自然人キーウィは文明と衝突する。キーウィにとって夜間学校やファースト・フード店での食事、カジノやダンス・ホール、高度に機械化されたテーマパークは、これまでの彼の人生には無かった未知の世界である。相棒のヴィジャ(Vijay)に導かれるままに、彼は同年代の若者たちの生活(といっても、それは富裕層の若者たちの生活ではない)を体験していく。驚き、笑い、呆れながらも、彼は徐々に本土での習慣に馴染んでいくのだ。湿地にいたころの自分が、強く焦がれていた外の世界と実際に体験した世界の間にある溝を埋めながら、キーウィは湿地を離れ本土で生きる自分という自己を獲得していくのである。


 最後の章のタイトルが “The End Begins”となっていることからも分かるように、この小説は一貫して終わりを書きつづけている。そこで書かれる終わりは、ビッグツリー一家の理想の王国の終わりでもあり、語り手である子どもたちの少年時代との決別でもある。信頼していたバードマンに裏切られ乱暴されてしまうエーヴァや、父と母のフロリダでの本当の仕事を知ってしまうキーウィは、残酷な形で現実と直面する。最後の章でテーマパークの売却を決めた一家は、フロリダのホテルで再開し、共に新しい生活をはじめるが、そこに集う面々はかつての彼らではない。なにかが決定的に損なわれ、失われてしまっているのだ。まるでマーク・ボランの作る曲のように、始終退廃的な空気を漂わせているこの小説が暗く陰惨なものにならないのは、やはりカレン・ラッセルの持つユーモアの感覚と底抜けに明るいエーヴァ・ビッグツリーというキャラクターのおかげであろう。危険であることはわかっているのに、近づかずにはいられない暗闇と、その暗闇の中で光り輝くユーモアや人の美しさ、この小説が多くの読者に愛され、ピュリツァー賞の最終候補にまで選ばれたのは、きっとそんな理由があったからだろう。『スワンプランディア!』に魅了された読者の一人として、一刻もはやくこの小説が日本語に翻訳され、多くの日本の読者がスワンプランディア!を訪れる日がやって来るのを祈るばかりである。

 

追記1.この小説はカレン・ラッセルの初短編集St. Lucy’s Home for Girls Raised by Wolvesに収録されているAva Wrestles the Alligatorという短編を下敷きにしている。

追記2.作者のカレン・ラッセルさんは、とっても知的でチャーミングな方です。