戸山翻訳農場

作業時間

月曜 14:45~18:00

木曜 16:30~18:00

金曜 18:00〜21:30?

ブログ



2012年

9月

15日

The Cry of the Sloth by Sam Savage              田中一成

       「書いたもの」だけ


“ The Cry of the Sloth”(『ナマケモノの叫び』)の主人公は、アンドリュー・ウィットテイカーという男で、彼は作家であり、売れない文芸誌の編集者であり、アパートの管理人でもある。この本は、この男の「書いたもの」の寄せ集めである。彼が書いた小説の断片、母への手紙、別れた妻に書き綴った日ごろの愚痴、古い友人への手紙、アパートの住人への苦情や要望、買い物リスト(と思われるメモ)、文芸誌へ応募してきた人への返事、などなどがただ4カ月分(7月から10月まで)、おそらくは書かれた順に、時系列に沿って並べられているだけだ。そのためこの本には語り手がいない。だから誰もナレーションをしてくれない。

 

離婚した妻は遠く離れたニューヨークに住んでいて、電話は通じない、元妻との唯一の連絡手段が手紙である。管理するアパートにも住んでいないので、苦情の処理なども手紙で行われる。一応いつも小説を書いていて、文芸誌の編集者としてもいろいろな人に手紙を出す(アナグラム(文字の並べ替え)の偽名で自分のことを称賛するような手紙を出版社に送ったりもしている)。このように彼の生活は「書くこと」に縛り付けられているので、それらを通してアンドリュー・ウィットテイカーという男が見えてくる。たとえばこんなやり取りがある。

 

寄稿者さま

 このたびは作品のご応募まことにありがとうございました。厳正なる審査の結果、残念ながら今回あなたの作品は我々の基準に達しないという結論に至りました。

「ソープ」編集者

 

この手紙のしばらく後に、こんな手紙がでてくる。

 

ミセス・レセップ

 「マイルストーンの小さなくつ」読ませていただきました、再びあなたの作品を読む機会を与えてくださり光栄です。厳正なる審査の結果、この作品も我々の基準には達しないという結論に至りました。前回お送りした手紙の「残念ながら今回」というフレーズを、もう一度ご応募ください、という意味に勘違いなされたようで申しわけなく存じます。出版業界での「今回」の意味は「永遠に」です。

A.ウィットテイカー

「ソープ」編集者

 

前作『ファーミン』でもそうだったが、この作者の描く主人公は皮肉で、いやなやつで、暗く、孤独(ひと月に何度も、別れた妻にどうでもいいような手紙を送ってしまうほどに)だが、「書かれたもの」を愛している。

 

読者がストーリーを語る

このように手紙やらメモやらがずらずらっと並べられているだけなので、この物語には語り手がいない。そもそもこれは「物語」なんだろうか。よくわからない。何度も手紙を出す相手や、たびたび手紙の中で言及される人もいて、読み進めていくと段々主人公とその他の人々との関係性が浮かび上がってくるのだが、それらの手紙はあくまですべて彼の手によるものであり、そこに書かれたことは真実なのか、その手紙にどんな返事が来たのか、そもそも返事が来たのかと、読者は想像しなければならない。相手がどんな手紙を書いてきたのか、想像することによって読者はその登場人物たち(“登場”人物と言っていいのかどうかわからないが…)について知る。作者、サム・サベッジは「書いたもの」だけを並べることによって、その後ろにある「物語」をほのめかしている。だがそれは物語そのものではない。この本を読むときは誰も物語を語ってはくれないので、読者が代わりにそれをしなければならない。

 

ナマケモノの叫び

この小説のタイトルは”The Cry of the Sloth” 『ナマケモノの叫び』である。主人公は家からめったに出ない。まるでめったに木からおりないナマケモノのようだ。そんな彼を取り巻く状況は良好とは言いがたく、しかもそれが4ヶ月の間にどんどん悪化していく。人から好かれたい、という願望があることは友人への手紙で自ら述べているが、どうやら彼自身は誰からも好かれる性格、とはいえないようだ。アパートの一室の天井の塗装がはがれたことで、その部屋の住人とアンドリューのどちらが修繕費を支払うかで揉め、長い手紙を書いて住人の妻を侮辱するなど、しっかりといやな奴をやっている。次の手紙はさらにその後日談である。

 

フォンティーニ!

昨夜遅く書斎で仕事をしていると、窓の割れる音にとびあがったよ。リビングの床には君のものと思われるレンガが落ちていた。これは、察するに、君が送ってきた一連の侮辱的なポストカードの、気のきいた続編ということなのだろう(ポストカードはレンガと一緒に、警察へ渡しておいた。手袋はちゃんとしたかね?)。あの雌牛、ミセス・フォンティーニへの侮辱のために復讐しようなんて気高いじゃないか。レンガを投げて感情をなだめられたなら、これ以上の器物破壊はやめるんだな。

油断なく、敬具

ウィットテイカー

 

p.s. 私の金はどこだ?

 

物語が進むにつれ、やることなすことほとんどうまくゆかず、段々と追い詰められていくのが彼の書く手紙から伝わってくる。そして「書いたもの」だけなのに、段々とアンドリュー・ウィットテイカーという人間が浮かび上がってくる。彼は書くことを通じて自分自身というものを周りに訴えかけているのだ。彼は友人にあてた手紙の中で、タイトルの“ナマケモノの叫び”について触れている。ナマケモノは恐怖を感じたとき、「アイ」と鳴くのだという。そう、“ナマケモノの叫び”とは”I”(私)なのだ。