戸山翻訳農場

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2013年

10月

11日

Great Jones Street by Don DeLillo               菅野楽章

 前にダナ・スピオッタの『ストーン・アラビア』を取り上げたとき、ブレット・イーストン・エリスの言葉を紹介した―『グレート・ジョーンズ・ストリート』以来最高のロック小説じゃないか。

 

グレート・ジョーンズ・ストリート』は、1973年に発表されたドン・デリーロの3作目の小説である。1971年に『アメリカーナ』でデビューしたデリーロは、全米図書賞を受賞した『ホワイト・ノイズ』(1985)で注目を集め、日本でもそれ以降の小説はすべて翻訳が出ている。2013年には、デヴィッド・クローネンバーグによる映画化を受けて『コズモポリス』(2003)が文庫化、また、短編集『天使エスメラルダ―9つの物語―』(2011)も翻訳刊行された。だが、初期の7作品は未訳で、『グレート・ジョーンズ・ストリート』はそのうちのひとつである。

 

 主人公はバッキー・ワンダーリックというロックスター。自らの音楽活動やオーディエンスに嫌気がさした彼は、ツアーの途中でバンドを抜け、ニューヨークのグレート・ジョーンズ・ストリートにあるアパートに引きこもる。バートルビーのごとく部屋にとどまるが、巷には彼の消息についての噂が流れるし、マネージャーやバンド仲間など訪問客はひっきりなしにやってくる。彼の動向で焦点となるもののひとつは、『マウンテン・テープス』という未発表音源の存在である。全23曲のこのテープを、マネージャーは発表したがっているが、出来に不満なバッキーは拒否している。また一方で、彼はドラッグの取引にも巻き込まれる。ハッピー・ヴァレー・コミューンなる組織や、ドクター・ペッパーなる人物が現れ、彼を取り巻く事態は混沌としていく。

 

 このバッキーというミュージシャンは、ボブ・ディランをモデルにしているのではないかという声が多い。隠遁生活、未発表音源(『マウンテン・テープス』はディランの『ベースメント・テープス(地下室)』を連想させる)、皮肉っぽくふてぶてしい言動など、まさに6070年代のディランのイメージだ。しかし、デリーロ自身は「ディランとバッキーに共通点があるとは思っていなかった」と言っており、だれか特定のミュージシャンを意識したわけでもないようである。Amazonのレビューなどでは、時代は違うとはいえ、バッキーをカート・コバーンに喩える意見も少なくない。また、ジム・モリソンやブライアン・ウィルソンの影もちらつく。

 

 実際のところ、バッキーがどんなミュージシャンなのかははっきりしない。小説中に歌詞はいくつか出てくるが、曲調は判然としない。『マウンテン・テープス』はすべてアコースティックギターの弾き語りということだが、フォークソングなのだろうか? 大音量で演奏するというバンドの音楽はロックンロールか? ハードロックか? サイケデリックか? この『グレート・ジョーンズ・ストリート』は、ロックミュージシャンを主人公にした小説だが、音楽性についての言及は少ない。

 

最後のツアーも終わりに近づいて、はっきりした。俺たちのオーディエンスは音楽以上のものを、反復されるノイズ以上のものを求めているのだと。カルチャーが限界点、ギリギリの状態に達したのかもしれない。ここ数週間のコンサートでは、純粋に心底狂うような感覚が少なかった。放火や破壊はほとんどなかった。レイプはさらに少なかった。発煙弾など爆発物の脅威はまったくなかった。俺たちの追っかけは、自らのなかに籠り、もはや先例など気にしていなかった。過去の聖人や殉教者たちからは解放されたが、恐る恐るであり、彼らの名もなき肉体は残っていた。チケットのない連中がバリケードに襲いかかることはなく、演奏のあいだ、俺たちの真下でステージをひっかく男たち女たちは、俺を殺すほどの愛をなくしていた。ついに気付いたかのようだ。俺の死は、真正なものとなるためには、身勝手でなければならないと――自らの手で、できることなら異国の街でなされたとき、はじめて実を結ぶ教えだ。(中略)俺たちの最近の音楽は、人々の絶叫を失い、限りなく無意味になっていたのだから、演奏をやめる以外に選択肢はなかっただろう」

 

 ここで描かれるのは音楽としてのロックではない。社会現象としてのロックである。デリーロは、ボブ・ディランのドキュメンタリー映画『ノー・デイレクション・ホーム』(マーティン・スコセッシ監督、2005)をめぐるグリール・マーカス(『ミステリー・トレイン』などで知られるロック評論家。ボブ・ディランに関する著作で『グレート・ジョーンズ・ストリート』を取り上げている)との対談で、このようなことを言っていた。

「ロックミュージックの天才というのは、そのまわりの文化的なヒステリーにマッチしていたんだ。ディランだけじゃなく、燃えるようにギンギンと吠えたジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョップリン、ジム・モリソン―奇しくも若くして悲劇的に死んだ3人になったが―なんかもそう。まるで答えを提供するかのように、ストリート、暴動、暗殺、ベトナム戦争、公民権運動といった自分たちのまわりで起こっていることを写し出すかのように。ロックはそれにマッチする表現だった。ロックアーティストたちがすべて自分たちのまわりの同時代の文化にはっきりと言及したわけじゃない。だけど音楽そのものがそこで起こっていることを完璧に写し出していた。ロックはそこから生まれたんだ」

 社会、文化、時代の象徴。デリーロはロックにそうしたものを見る。普段は主にジャズを聴くという彼が、ロックに関して好むのは、「ロック革命を起こした人々」である。昔は、フィルモア・イーストへ行き、ジェファーソン・エアプレイン、ジミ・ヘンドリックス、フランク・ザッパ、ジョニ・ミッチェルなどを聴いたという。

 

 しかし、フィルモア・イーストは1971年に閉店し、ヘンドリックスはその前年に死んだ。ビートルズは解散し、ウッドストックの夢は続かなかった。70年代に入り、音楽としてのロックは多様に発展していくが、それと同時にあの熱狂は失われた。小説の途中、バッキーのガールフレンド、オペルが突然死ぬ。彼女の父親はテキサスの小さな銀行の頭取で、公益事業の委員、自動車ディーラーの組合員という典型的な米国の保守派である。ロックは、彼女にとって、そこからの逃げ場だった。その象徴のバッキーが舞台を去ったとき、彼女は行き場を失ってしまった。

 

 バッキーも死について考える。「もしかすると、真の名声に付随する唯一の自然法とは、名声を得た人間は、最終的に、自殺を強いられるということかもしれない」。だが、バッキーは死なない。死なないかわりに、動かない。動かないのか、動けないのか。バッキーが引きこもって数年後の1976年、イーグルスはアルバム『ホテル・カリフォルニア』を発表し、ロック精神の凋落、アメリカンドリームの終焉を歌う。人々はホテルから出ることができないし、フロンティアはもはや存在しない。バッキー・ワンダーリックは、それより少し早く、グレート・ジョーンズ・ストリートのアパートに彷徨い込んだのである。

 

追記 『ストーン・アラビア』と『グレート・ジョーンズ・ストリート』の2冊を取り上げたところで、ロック小説について調べていたら、「Top 11 Rock Novels(ロック小説11選)」という記事(http://www.rockcellarmagazine.com/2013/01/07/top-11-rock-novels/)を見つけた。取り上げた2冊のほか、近年の話題作であるジェニファー・イーガンの『ならずものがやってくる』、アラン・パーカーが映画化したロディ・ドイルの『おれたち、ザ・コミットメンツ』、村上春樹の『ノルウェイの森』などが挙げられていて、興味深い。リストは以下のとおり。

1.サルマン・ラシュディ:The Ground Beneath Her Feet1999

2.ダナ・スピオッタ:Stone Arabia2011

3.エリナー・ヘンダーソン:Ten Thousand Saints2011

4.村上春樹:ノルウェイの森(1987

5.ニック・ホーンビィ:ハイ・フィデリティ(1995

6.ロディ・ドイル:おれたち、ザ・コミットメンツ(1987

7.ジェニファー・イーガン:ならずものがやってくる(2010

8.ドン・デリーロ:Great Jones Street1973

9.トマス・ピンチョン:競売ナンバー49の叫び(1966

10.スティーヴ・エリクソン:These Dreams of You2012

11.ブレット・イーストン・エリス:アメリカン・サイコ(1991