戸山翻訳農場

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2014年

11月

21日

To Rise Again at a Decent Hour by Joshua Ferris          菅野楽章   

今年(2014年)からブッカー賞の方針が変わり、イギリス連邦、アイルランド以外の作家も選考対象となった。そして、アメリカ人の作品としてはじめて同賞の最終候補となった2作のうちの1作が、ジョシュア・フェリスの『ちゃんとした時間にまた起きる(To Rise Again at a Decent Hour)』である。(もう1作はカレン・ジョイ・ファウラーの『みんなすっかり我を忘れて(We Are All Completely Beside Ourselves)』。受賞作はリチャード・フラナガンの『奥の細道(The Narrow Road to the Deep North)』。)

ジョシュア・フェリスは2007年のデビュー長篇『私たち崖っぷち』が話題となり、ニューヨーカー誌の「40歳以下の優れた作家20人」にも選ばれた。広告代理店のオフィスで働く人々を「私たち」という一人称複数で語ったデビュー作、歩くことをやめられない弁護士が主人公の第2作『The Unnamed』(2010年、未訳)につづく第3作の本書は、歯科を舞台にした哲学的な喜劇小説である。

 

「口は奇妙な場所だ」この小説はそんな一節ではじまる。「完全に内側でも完全に外側でもない、肌でも臓器でもない、あいだにある何か。暗く、濡れて、たいていの人があまり考えたくない内側の部分への入口となっている――そこは、癌がはじまり、胸が張り裂け、魂が生まれ損ねるかもしれないところだ」

 

 主人公で語り手のポール・オルークも奇妙なやつだ。彼もまたあいだにある何かである。歯科医として成功しているが、世の中に嫌悪感を抱き、皮肉な言動ばかりで対人関係はうまくいかない。ニューヨークに住みながらボストン・レッドソックスを応援し、無神論者であることを公言する。

 

 そういった人間にはありがちなことだが、彼は現代のテクノロジー(主にインターネット)に不信感を抱いている。自分の歯科のウェブサイトは作らないし、SNSにも登録しない(「Facebookのページを持ってないってだけで、社会から隔絶してるみたいに責められないといけないのか?」)。とはいえ、そこにもやはり屈折したものが見え隠れする。実際のところ、彼は「自分本位マシーン(me-machine)」と呼ぶスマートフォンを手離せないし、ハンドルネームを使ってネット上に投稿したりもしている。

 

 しかし、その不信感はある意味で正しいものだった。彼はインターネットが原因で騒動に巻き込まれていく。事のはじまりは、ポールの歯科のウェブサイトが何者かによって勝手につくられたことだ。やがて、その乗っ取り行為はエスカレートし、FacebookTwitterにポール・オルークを名乗る人物が現れる。

 

 オンラインのポールは宗教に関する発言を繰り返し、ときに反ユダヤ的に思える姿勢をとる。オフラインのポールは自分は書いていないと主張するが、アシスタントや知人からは疑いの目を向けられる(このあたりのやり取りはコミカルで面白い)。また、読者としても、妄念にとりつかれた彼の性格を思うと、書かれていることをどこまで信用していいのかわからなくなってくる。

 

 そしてポール自身もよくわからなくなってくる。オンラインのポールとやり取りをはじめた彼は、「自分のことがどれだけわかってる?」「自分の人生の何を本当に知ってる?」と訊かれ、自分が何者かを自らに問いはじめる。

 

 何かと問題の多いポールだが、女性との関係は特に深刻だ。ひとたび女性を好きになれば、連絡もしないで家に押しかけ、ひっきりなしに電話をかけ、出会って間もなく「愛してる」を連発する。しかし、その熱情は本当にその女性への愛なのだろうか。ポールは敬虔なユダヤ人家庭に育った以前のガールフレンド(アシスタントの1人でもある)、コニー・プロッツについて考える。「コニーを強く求めていたとき、ぼくは本当にコニーを求めていたのだろうか。あるいは、再び愛に包まれること、自分自身から離れ、彼女の家族、プロッツ家、ユダヤ教に魅了されることの目新しさを求めていただけだろうか」

 

 彼の屈折した感情は、少なからず家族についての強迫観念から生まれているようである。父親を自殺で亡くしたポールは、いまもそのトラウマを引きずっている。自らのアイデンティティを探るとき、彼は家族について考えざるを得ない。

 

 そしてその家族を巡る探求は、思いがけない方向へ進む。オンラインのポールとのやり取りで、自分が「ウルム」という「ユダヤ人の歴史を羨むほど悲惨な人々」の子孫だと聞かされた彼は、その民族の歴史を掘り下げていく。

 

 ここから話は、宗教、信仰とは何かという問いかけになる。ポールは「ウルム」の指導者であるグラント・アーサーの存在を知るが、彼にはユダヤ教徒の恋人の家族から縁を切られた過去があった。神を信じない彼は、いくらユダヤ教の歴史を学び、ユダヤ教徒になりたいと言っても認められない。一方、恋人は、ユダヤ教が自分に何の関係があるのかもわからないながら、生まれたときからユダヤ教徒だった。

 

 ところで、無神論者のポールが熱烈に信仰しているのがレッドソックスである。父親の影響でファンになった彼は、ボーン・シューイッシュならぬボーン・レッドソックスファンだ。1984年以来全試合をビデオテープに録画し、「6回だけは絶対に見たらいけない」という迷信にとらわれながら毎試合観戦している。

 

 しかし、その信仰も2004年を境に揺らぎだしてきた。2004年はレッドソックスが86年ぶりにワールドシリーズを制覇した年である。バンビーノの呪いといわれるジンクスが解けたとき、信者はこれまで信じてきたものは何だったのかと悩むことになる。フェリスは、この呪いをユダヤ教徒(あるいはウルム)の苦難と重ね合わせ、ポールのレッドソックス信仰に宗教的な風味を加えている。

 

 物語の最後に、ポールはネパールのカトマンズを訪れる。貧しい人々へ歯の治療を施すことが目的だが、仏教徒の多い街を歩き回るなかで、彼はある物を見つける。「その瞬間」と彼は言う。「それを買って身に付けられるのだと気付いた瞬間――もう迷信や部族主義にも、生まれたときからの厄介な義理にも縛られずに、それほどラディカルな変化を実際に起こしていいのだと気付いた瞬間――ぼくは素晴らしい身震いを背中に感じた」

 

 彼が見つけた物はシカゴ・カブスの帽子である。カブスは2013年まで105年間ワールドシリーズを制しておらず、米国スポーツ界のあらゆるプロチームのなかで最も長く優勝から遠ざかっている。レッドソックスファンのポールはこれまでもちろん買ったことがなかったが、いまそれを手にして興奮を抑えられない。彼は言う。「想像してみてくれ! シーズン前に良い1年になるよう祈り、本当に不安な気持ちで彼らのプレーを見て、真の救済がいつも訪れそうで訪れないからこその圧倒的な悲痛を再び感じるのだ。これは大変だ! また新しい世界がはじまるぞ!」