戸山翻訳農場

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2015年

3月

04日

感謝祭の日の二人の紳士                訳:中村亜衣

ご存知か、我々の一日を。ご存じだろうね、己の力で身を立てるとはなんとやらといった風の我々アメリカ人が、昔懐かし我が家へ漫ろ帰り、パンを頬張っては、やあやあ庭の水汲みポンプから玄関まではこんなにも近かったかと目を丸くする、その一日を。祝福するがよい。ルーズベルト大統領が我らに与え給うた。ピューリタンがどうこうという話を耳にしないでもないが、どこのどいつなんだか記憶にありゃしない。まあ、とっちめてやることはわけないだろう、そのなんとかが再度上陸を試みてきたとしてもね。プリマス・ロック? ああ、そいつの方が聞き馴染みがあるじゃないか。七面鳥の値段を釣り上げるお偉い企業の奴らが出てきてからというもの、我々の多くは雌鶏への格下げを余儀なくされているわけでもあるし。だがどうだ、ワシントンの誰かさんかが、感謝祭声明についての情報を奴らに漏らしている声が聞こえてくるようじゃないか。
 クランベリー色に染まった湿地の東側に鎮座する大都市で、感謝祭は伝統と相成った。十一月最後の木曜日というのは、そういえばあのフェリーの向こう側にも我らがアメリカ大陸は続いていたなと、大都市様が認知して差し上げる日でもあるというわけだ。それは純粋にアメリカ的な一日。そう、それは祝祭の日、ただアメリカ人だけのためにある日なのである。
 ここである物語をお聞かせしよう。こいつは皆様方に証明してくれるはずだ、大西洋のこちら側の我々も伝統というものを持ち合わせていて、しかもそいつはイギリスのそれよりもずっと急速に成熟しつつあるのだと我々の根性と冒険心のおかげで、ね。
 スタッフィー・ピートが腰を下ろしたのは、ユニオン・スクエアに東から入って右から三番目、噴水の反対側の小道にあるベンチだった。毎年感謝祭の日、かれこれ九年になるが、そいつはきっかり午後一時にそこへやってくる。そうすると毎回、事が起こるのだチャールズ・ディケンズの小説のような、そいつのベストに覆われた胸のところと、さらにその下の部分までも、満足にふくらませてくれるような出来事が。
 だが今回スタッフィー・ピートが例年の約束の場所に現れたのはどうも習慣でつい、といった感じで、貧しき人々を年に一度という随分とお長い間隔で苦しめると慈善家の金持ち様らがお考えになっているとお見受けするような空腹によってやってきた、というわけではなさそうだ。
 実際の話、ピートは空腹ではなかった。奴は今しがた祝宴の席から舞い戻ってきたばかりで、むしろ身体を微動させるのも呼吸運動すらもやっと、という状態だったのだ。二つのお目目はまるで色褪せたグーズベリーの実を、膨れ上がって脂まみれになった石膏粘土のお面にギュウウと押し込んだよう。ゼイ、ゼイ、ゼイと息は苦しく、政治家よろしく首に巻きつけた脂肪のマフラーのおかげで、お洒落に立ててみせた上着の襟も、誠に残念な仕上がりとなっている。服のボタンは一週間前に親切な救世軍の手で縫い合わせてもらったはずなんだが、こいつはポップコーンみたいに弾け飛んでしまって、奴を取り囲む大地に散乱していた。なんともみすぼらしい恰好で、シャツは裂けて叉骨も丸見えの勢いで前開きになっている。だが十一月の冷風が雪片をちらちらと運んできても、奴にはかえって涼しく心地よく感じられるだけなのであった。というのも、スタッフィー・ピートは超絶豪華なディナーで吸収した栄養分ではち切れんばかりになっており、しかもそれはオイスターに始まりプラムプディングに終わる、この世の全ての(奴にはそう見えたのだ)七面鳥の丸焼き、ベイクドポテト、チキンサラダにカボチャパイ、アイスクリームを出し尽くしたようなものだったからである。それゆえに奴は腰をかけ、腹を膨らませ、食後の倦怠感とともに世界を打ち眺めていた。
 そいつは予期せぬ食事だった。奴は五番街のはじめにある赤レンガのお屋敷の前を通り過ぎようとしていたところで、そこには由緒あるお家柄の伝統を尊崇する二人の老婦人が住まっていた。ニューヨークなんて存在すら認められないし、感謝祭だってワシントンスクエアだけに宣言されたものなのだと強くお考えの方々だ。そんなお二人の伝統的慣習に、使用人を裏門に立たせておいて、正午の鐘が鳴ってから最初にやってきた空腹の放浪人を家に迎え入れ、宴会で腹一杯もてなすよう命ずるということがあった。スタッフィー・ピートは件の公園への道すがらたまたまそこを通りかかり、使用人に引っ張り込まれ、かくして一城の風習は守られたというわけだ。
 スタッフィー・ピートは真っ直ぐ前を見つめ続けて十分ほど経ったのち、ようやっと自らに内在する視覚的情報欲求に意識のピントを合わせた。圧倒的労力を用いながら、頭をゆっくりと、左側に向ける。その時だ。奴の目は恐ろしく膨んで、息は止まり、短い脚の先にくっついたボロ靴はわなわなと震えて、足元の砂利が音を立てた。
 高年の紳士殿が、四番街をわたって彼のベンチまで歩いてくるところだったのだ。
 この九年間というもの、感謝祭のたびにその紳士はここへやって来て、ベンチに座るスタッフィー・ピートを見つけてきた。それこそが高年の紳士殿が伝統としようとしていたことなのである。この九年間というもの、感謝祭のたびに彼はこの場所でスタッフィーを見つけ、レストランへ連れていき、奴が豪勢なディナーを平らげるさまを見守ってきた。こんなことはイギリスならば日常茶飯事だ。しかしこのアメリカはまだ若い国であり、それを考えれば九年というのはなかなかのものだった。高年の紳士殿は忠実なるアメリカ愛国者であり、自らアメリカの伝統の先駆者たろうとしていた。物事がかたちになるようにするには、ひとつのことを長い間やめずに続けなければならない。それは簡易保険用に毎週十セント貯めるとかでも良いし、あるいは通りの掃除などでも良いのだ。
 
高年の紳士殿は真っ直ぐと荘厳な様子で歩みを進め、自らの育む伝統そのものに向かって行った。実際、このスタッフィー・ピートへの毎年の施しは国民的なことではなく、イギリスにおけるマグナカルタや朝食のジャムとは性格を異にしている。しかしこれは第一歩だ。前時代にいるようなものである。少なくともニューヨーおっと失礼、アメリカにも伝統が育つことを示しているのだ。
 高年の紳士殿は細身で背が高く、齢六十であった。全身真っ黒に装い、ずれ落ちがちな昔風の眼鏡をかけている。髪は去年よりも白く薄くなっていて、大きくてゴツゴツした、曲がった柄のついた愛用の杖にますます頼るようになっている様子だった。
 お決まりの後援者が近づいてくると、スタッフィーはゼイゼイ言って震えだし、まるでどこぞのご婦人の脂肪過多なパグが野良犬に喧嘩を売られた時のようだった。もはや空にでも飛んで行ってしまいたい心持ちだったろうが、サントス・デュモンが全技術を駆使したとしても奴をベンチから引き離すことはできなかっただろう。まったく二人の老婦人の配下の者はいい仕事をしたものだ。
 「御機嫌よう」紳士殿は言った。「拝するに、栄枯盛衰の世の中でも、貴殿は無病息災にて美しき世界を生きられている御様子で何より。我らが共々この感謝祭の日を祝するのに、他に何の理由が要ろうか。もし貴殿が私と共に来られるならば、友よ、私は貴殿に一晩の饗応を用意し、その身体を精神に見合うものとすることを約束しよう。」
 それは高年の紳士殿のお決まりの口上であった。感謝祭の度、もう九年になる。ほぼこの言葉も伝統になったといえるだろう。これと肩を並べられるのは独立宣言くらいのものだ。これまではずっと、この言葉はスタッフィーの耳に音楽のように心地良く感じられてきた。しかし今奴は、悲哀と苦悶の色を浮かべながら紳士殿の顔を見上げている。運ばれてきた粉雪がジュッと音を立てんばかりに奴の汗ばんだ額に溶けた。だが高年の紳士殿はすこし身震いをして風に背を向けた。
 スタッフィーはいつも、高年の紳士殿がどうしていくらか悲しげに例の口上を述べるのか不思議に思っていた。奴は知らなかったのだ。それは紳士殿が毎回、自分に跡を継いでくれる息子がいればと願っているからだと。自分が逝った後もここに来てくれる息子―誇り高く、力強く第二・第三のスタッフィーの眼前に立ち、そしてこう言ってくれる息子が。「我が父を偲んで。」それこそが伝統となるのだ。
 だが紳士殿には身寄りがなかった。彼は旧家の人々が住まう古びたレンガ造りのお屋敷のひとつにいくつかの部屋を借りていて、そこは公園の東の閑静な通りのひとつに位置していた。冬の頃はフクシアを、船旅用トランクほどの小さな温室で育て、春の頃はイースターのパレードに参加する。夏の頃にはニュージャージーの丘の農家に暮らし、枝編みの肘掛け椅子に腰掛けて、蝶の話に花を咲かせ、トリバネアゲハというんだが、こいつをいつの日か見つけてみたいものだと夢見たりなんかする。秋の頃、スタッフィーにディナーを馳走する。これが高年の紳士殿の一年間であった。
 スタッフィー・ピートは三十秒ほど彼を見上げた。わが身の不幸に、汗と無力感とをにじませて。紳士殿の瞳は施す者の充足感で輝いていた。顔には年々皺を増やしていたが、こぶりな黒いネクタイはいつにも増してきちんと蝶結びされ、リネンのシャツはきれいで真っ白、そして白い口ひげは先にむかって優雅な曲線を描いていた。次の瞬間、スタッフィーは鍋の中で煮立っているエンドウマメのような音をたてた。喋ろうとしたのである。高年の紳士殿は以前に9回もその音を聞いていたので、それがスタッフィーお決まりの快諾の文句であると正確に解釈した。
 「ありがてい、ご主人。行きますや、お受けしやす。儂は空腹だ、ご主人。」
 過食により意識が朦朧としつつも、スタッフィーは伝統を形作る重要な要員であるという自覚を失ってはいなかった。感謝祭の日の奴の食欲はもはや奴自身のものではない。それは確立された伝統の持つ全ての神聖な権利によって、もしそれが実際の出訴期間法などと関係がないとすればだが、それを先取した高年の紳士殿に属しているのである。そうさ、アメリカは自由の国だ。だが伝統を確立させるためには、誰かが循環節にならなければならない循環小数に。ヒーローというのは鋼と金のそれだけを指すのではないということだ。このお方を見てみろよ、武器にできるのは鉄、それもひどく銀白色になったやつと、それからブリキだ。

高年の紳士殿は年に一度の被扶養者を南の方角にあるレストランへ、毎度祝宴の開かれるそのテーブルへといざなった。すっかり顔馴染みの彼らだ。
 「あん爺さんが来なすったぜ。」ウェイターは言った。「あん人感謝祭の度におんなしフロウシャにおごってんだ。」
 高年の紳士殿はテーブルの向かい側に座ると、未来の古き良き伝統の礎に向かって燻した真珠のように顔を輝かせた。ウェイターは山のようなご馳走を次々に運んでくる。スタッフィーは空腹からくるものととれないでもないような溜息をつくと、ナイフとフォークを取り上げ、不滅の月桂樹の冠を彫り始めた。
 どんなに勇敢な英雄でも斬り抜けたことがないような大軍だ。ターキー、骨付き肉、スープ、野菜、パイこれらは配膳されるとほぼ同時にスタッフィーの前から姿を消していった。入店時には極限と言っていいほどまで腹が膨れ、食べ物のにおいが鼻に届くだけで紳士としての面目を失いそうになっていたが、奴はまるで真の騎士さながらに己を奮い立たせた。奴は見てしまったのだ、紳士殿の顔に慈愛と幸福が広がっているのを。それは紳士殿がフクシアの花やトリバネアゲハを前にするときですら浮かべることのない、至福の表情なのだった。奴にはそれを敢えて翳らせることはできなかったのだ。
 一時間の後、スタッフィーは戦勝を収めると共に、背もたれへとその身を沈めた。

「感謝、いだしやす」奴は締まりのない蒸気管のようにプクプクと息を漏らした。「だっぷりの、御馳走、感謝、いだしやす」

奴は重々しく腰を上げると、霞んだ目で厨房に向けて歩き出した。ウェイターが奴を独楽のようにクルリと回して、出口の方に向けてやった。高年の紳士殿は注意深く一ドル三十セントを数え、ウェイターに五セント玉を三つ残した。

二人は例年通り扉の前でその道を別ちた。紳士殿は南へ、スタッフィーは北へ。

最初の角の辺りでスタッフィーは曲がり、そこで一分間立ち尽くした。奴はフクロウが羽を膨らませるようにボロの中で身体を膨らませ、そして日射病の馬のようにバタリと、歩道に倒れこんだ。
 救急車が到着すると、若い外科医と運転手は奴の重さにボソリと悪態を吐いた。ウイスキーの匂いがしなかったので警察に突き出すこともできず、スタッフィーは晩餐二つ分ごと病院へと運ばれた。医師らはベッドの上に奴を大の字にさせると、問題を見つけ出すチャンスに目を光らせつつ、鋭いメスを奮って奇病検査に取り掛かった。
 そして、なんと! 一時間後に別の救急車が運んできたのはかの高年の紳士殿であった。そしてあやつらは紳士殿を別のベッドに寝かせると、盲腸炎じゃないかねえなんて宣ってみせた。金には困ってなさそうに見えたのだ。
 だがそのちょっと後、ある若い医師はお気に入りの可愛い瞳をした若いナースに会うと、仕事の手を止めて今回の件についてくっちゃべり始めたんだ。
「あのいい感じの老紳士いるだろ、あっちの、ほら」そいつは言った。「聞いて驚くなよ、餓死寸前の状態だったんだぜ。誇り高き旧家の者って感じだけどな。俺に言ったんだ、もう三日も何も食べてないんだって。」