戸山翻訳農場

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あるニューヨーカーの誕生               訳:久宗寛和

 とりあえず、ラグルズは詩人だった。彼は浮浪者と呼ばれていたが、これは手短な表現でしかなく、哲学者、芸術家、旅行家、自然博物者、そして探究者でもあった。しかし、何よりもまず、彼は詩人だった。ラグルズは生まれてこのかた一行の韻文も書かなかった。詩情の中に生きていたのだ。彼の冒険譚は戯れ歌(リメリック)になっていただろう、もし書いていたらの話だが。しかし初めにお断りしたとおり、ラグルズは詩人だった。

 ラグルズの専門は、もしインクと紙を押し付けられたならば、都市へ向けた叙情詩(ソネット)だっただろう。彼は都市をじっと見つめた。世の女性が鏡に映った自分をじっと見つめるように、子どもが壊れた人形のおがくずと接着剤をじっと見つめるように、野生動物について書いた男が動物園の檻をじっと見つめるように。ラグルズにとっての都市は、単なる煉瓦とモルタルの塊でも、一定数の住民が住む地域でもなかった。それは個性的で特異な心を持つものであり、個々人の生命の集合体であり、固有のエッセンス、雰囲気、感覚を備えたものであった。二千マイルにわたって北へ南へ、東へ西へ、ラグルズは詩的な情熱のもとにさまよい、街々をその胸に受け止めていった。埃っぽい道をご機嫌に歩き、貨車に乗って突き進み、気ままに過ごした。そして都市の心を見つけ出し、その密やかな告白に耳を寄せたなら、また放浪し、休むことなく、次の都市へ。なんて気まぐれなラグルズ! ――しかしもしかするとこれまで出会った都会の街は、彼の口うるさい理想を満たし、包み込むことができなかったということなのかもしれない。

 古代の詩人たちから、都市は女性であるとされてきた。そしてそれは詩人ラグルズにも同様であった。加えて、彼の頭には具体的で明確な理想像があり、それは自分が恋焦がれたすべての都市を象徴し、典型化していた。

 シカゴはまるで嵐のようにパーティントン夫人[1]が羽根飾りに香水をつけて襲いかかり、そして安息を妨害する声高で美しい、未来が約束された歌を歌うように思えた。しかしラグルズは目が覚めては寒さに震え、理想は失われたのだという考えがポテトサラダと魚料理の憂鬱な空気の中にこびりついていた。

 こんなふうにシカゴはラグルズに影響した。もしかすると曖昧で不確かな描写だったかもしれない。しかしそれはラグルズの落ち度だ。彼は自分の感覚を詩誌に残すべきだった

のだ。

 ピッツバーグの印象はこうだ。戯曲の『オセロ』をロシア語にして、鉄道の駅で演じるドッグステイダーのミンストレルショー[2]にするようだった。高貴で気前の良い女性であるピッツバーグは、同時に――やぼったくて心温かく、顔を火照らせて皿を洗うのに絹のドレスと子ヤギの皮のスリッパを身につけて、ラグルズを明るい暖炉の前に座らせて、シャンパンを豚の足と芋料理とともに飲ませるのだった。

ニューオーリンズはただバルコニーからじっと見下ろしていた。彼は彼女の物思わしげなキラキラした目を見ることも、扇のはためきを捕まえることもできたが、それだけだった。彼はたった一度、彼女と面と向かい合った。それは明け方のことで、彼女は赤レンガの歩道をバケツ一杯の水で洗い流していた。そしてケラケラと笑いながらシャンソンを口ずさみ、ラグルズの靴を氷水でいっぱいにした。あらら(アロン)、ごめんなさい!

 ボストンは気まぐれかつ風変わりなやり方で詩人ラグルズに自己紹介した。まるでずっと冷えた紅茶を飲んでいるようで、それから街は白く冷たい布であり、彼の額をきつく締め上げ、何か得体は知れないがすさまじい精神的苦労に駆り立てるように思われた。結局のところ、彼は雪かきをして、暮らしを立てるようになった。それから布は濡れてしまって、結び目が固くなって取れなくなるのだ。

 あやふやで訳の分からない考えだ、と諸君は言うだろう。しかしその反感は感謝によって和らぐはずだ、というのもこれらは詩人の空想である――これらは詩なのだと思ってほしい!

 ある日ラグルズは巨大都市マンハッタンの心臓部へ来て口説きにかかった。彼女はすべてのなかで最も偉大であった。そして彼は音階の音を知りたかった。味わい、評価し、分類し、解き明かし、名付けて、他の都市がすでに個性の秘密を引き渡したように一緒に並べたかったのだ。さあ、ここでラグルズの翻訳係はやめて、記録係になろう。

ラグルズがフェリーボートから降り立ったのはある朝のことで、歩いて都心のコスモポリタンの擦れて無感動な雰囲気の中へ向かった。彼は「正体不明の男」という役柄に注意深く身を包んだ。あらゆる国、人種、階級、派閥、同盟、政党、そしてボウリング協会にも彼は当てはまらなかった。彼の服装――それをバラバラに寄付した市民たちの背丈は異なっていたが、心のサイズは皆同じだった――は自分の身体に合っているとはいえ、大陸を股にかけた仕立屋がスーツケースにサスペンダー、シルクのハンカチ、真珠のカフスボタンをつけて、鉄道で運んでくるような衣服のサンプルに比べたら不快ではなかった。金は持たず――詩人とはそういうものだが――熱意だけを携えて、天の川のコーラスのなかに新しい星を見つける天文学者のように、インクが突然万年筆からほとばしるのを見ている男のように、ラグルズは大都市の中へと迷い込んでいった。

 日が傾きかけた頃、喧噪と騒がしさから抜け出た彼の顔には言葉も出ないほどの恐怖が浮かんでいた。彼は敗北し、当惑し、狼狽し、戦慄した。これまでの都市は読みやすい大きさの活字のようであった。すぐに心が読める田舎娘のようであった。答えが簡単に分かる定期購読の判じ絵クイズのようであった。ごくりと飲み下せるオイスターカクテルのようであった。しかしこここにあったのは冷たく、キラキラ輝く、穏やかで、手に負えないもので、ショーケースの中の4カラットの大きなダイヤを外から見つめる、恋する男が、ポケットの中の薄給を湿っぽくいじくりまわすようだった。

 これまでの都市のあいさつを彼は知っていた――素朴なやさしさ、人間らしいあらゆるぶっきらぼうな慈愛、親しみのこもった憎まれ口、おしゃべりな好奇心、それから簡単に察せられる単純さや無関心を。このマンハッタンの都市は何の手がかりも与えてはくれず、壁を張り巡らせていた。硬い石の川のように彼を行きすぎ、通りを流れていった。目を向けられることも、声をかけられることもなかった。彼の心はピッツバーグのすすけた手が肩をポンポンと叩くのを恋しく思った。シカゴの威圧的だが社交性に富んだおしゃべりが耳に響くのを、ボストンの眼鏡越しに注がれた淡泊で、慈善の心のあるまなざしを――向こう見ずだが悪意のないルーイビルやセントルイスのブーツのつま先でさえも。

 ブロードウェイでラグルズは、多くの都市との恋を勝ち得たにもかかわらず、とまどいながら、多くの田舎の若者のように、立っていた。初めて無視されるという痛烈な屈辱を経験したのだ。そしてこの輝かしい、目まぐるしく移り変わってゆく、氷のように冷たい都市を一つの公式に押し込もうとしても、完全に失敗した。彼は詩人であったが、その都市は何も提示しなかった、色のハッキリした直喩も、比喩の手がかりも、磨かれた面には傷一つなく、手に取ってその形や構造を眺められるようなとっても無かった、彼が親しく、たびたび無礼に他の街を片付けてきたようには。家々は、防衛のために銃眼のしつらえたどこまでも続く城壁であり、人々は快活であるが、血の通わない亡霊であり、不吉で自分本位な行列を為していた。

 最も重くラグルズの心にのしかかり、詩心を詰まらせたのは、塗料で塗り固められたおもちゃのように人々に塗りたくられた、絶対的な利己主義だった。どの人間も彼には不快で横柄な自尊心の化け物にしか見えなかった。

 人間らしさは彼らからすっかり消えてしまっていた。彼らは石とニスだけでできた歩き回る彫像でしかなく、自分自身を礼賛し、無意識のうちに仲間の彫像からの称賛に執心だった。凍てつき、残酷で、無慈悲で、拒絶的、まったく同じような姿かたちで、己が道を急ぐのは、彫像が何かの奇跡で動き出すようで、その一方、魂と感覚は気乗りしないまま大理石の中で眠ったままでいるのだ。

次第にラグルズはある特定の人間に気付いていった。一つは初老の紳士で、雪のように白く短いひげを生やし、ピンク色でしわのない顔で、石のように冷たい、鋭い青い目をしていて、金ぴか好きの若者めいた服装に身を包んでおり、この都市の富、成熟、そして冷淡な無関心を体現しているようだった。また別のタイプは女性で、背が高く、美しく、鋼の彫刻のように鮮明な顔立ち、女神のようで、しおらしく、古い時代のお姫様のような恰好をし、目は冷ややかな青色で、氷河に反射した日光のようだった。さらにもう一つはこの人形の街の副産物だった――幅を利かせ、威張りくさって、残酷で、脅迫的に落ち着いた連中で、あごは刈り入れた後の小麦畑のようにさっぱりと広く、洗礼を受けた赤子のような肌つやで、こぶしは格闘家のそれだった。このタイプは煙草の看板にもたれて、冷めた目で傲慢に世界を眺めていた。

詩人とは繊細な生き物で、ラグルズはすぐに理解不能の先の見えない状況に包まれて縮み上がった。冷たく、神話のスフィンクスのように謎めき、皮肉屋で、訳が分からない、不自然で、無慈悲なその都市の表情に、彼はうなだれ、途方に暮れた。心なんて持ってないのだろうか? まだマシだと思った、材木の山、酸っぱい顔をした主婦の裏口での小言、親切なバーテンダーが地方の無料ランチのカウンターの後ろからくれる優しい不機嫌、感じのよいケンカ腰の田舎の巡査、キックに手錠、そして気ままに出会える他のガサツでやかましくて無礼な都市のほうが、この凍り切った薄情な街よりは。

 ラグルズは勇気を奮い立たせて、人々に施しを求めた。気にも留めず、それにもかかわらず、彼らは通り過ぎ、ウインクもしないで存在に気づいていないかのようだった。間もなく彼は自分に言い聞かせた、この壮麗だが、情を知らないマンハッタンという都市には魂がないのだと。住人はワイヤーとバネで突き動かされるマネキン、そして自分はこの広い荒野にたった一人きりなのだと。

 ラグルズは通りを渡ろうとした。すると警笛、轟音、耳障りなシューッという音と何かがぶつかるような衝撃があり、殴りつけられた彼は、今いた場所から6ヤード以上も投げ飛ばされた。ロケット花火の棒切れのように、彼は大地へと墜落していき、全ての街たちも砕け散った夢へと変わった。

 ラグルズが目を開けると、まず香りが彼をくすぐった――春始めの楽園の花の香り。それから手のひらが柔らかく、舞い落ちる花弁のように彼の額に触れた。彼のほうに身を屈めていたその女性は、古い時代のお姫様のような服を身にまとい、その青い瞳には、今柔らかな、しっとりと濡れた人間らしい同情心を湛えていた。ラグルズの帽子を片手に、元からピンクの顔をさらに紅潮させて、無謀な運転に対し滔々と熱くまくし立てていたのは、街の富と成熟の化身、あの老紳士だった。近くのカフェから慌ただしく出てきたのは、広いあごと赤子の肌をした、例の街の副産物で、嬉しいことを予感させる真っ赤な液体がなみなみと注がれたグラスを持ってきた。

「コイツを飲みな」とその副産物は言い、グラスをラグルズの唇へ押しつけた。

何百もの人々があっという間に周りに集まり、顔にこれ以上ない深い慈悲をたたえた。二人の立派で、優しい警察官が輪に割って入り、過剰な善良な市民である見物人を押し戻した。黒いショールをまとった老婦人が大きな声で、薬を、と叫んでいた。新聞売りの少年は売り物の一枚をラグルズの肘の下に滑らせて、泥だらけの歩道に置いた。きびきびした青年は手帳を片手に名前を尋ねてきた。

 ベルが仰々しく鳴り、それから救急車が人ごみをかき分けてやってきた。落ち着いた医者が騒ぎの真ん中へと滑り込んだ。

「気分はいかがですか」医者は尋ねて、職務のために手早くかがみこんだ。絹とサテンのお姫様は、ラグルズの額の赤い雫を一つ二つ、良い香りのするレースで拭った。

「おらか?」ラグルズは言い、清らかにほほ笑んだ。「ええ気分だ」

 彼は新しい都市の心臓を見つけたのだった。

 三日のうちに、彼は病床を離れて回復期病棟に移ることになった。そこに入ってわずか一時間、看護人たちはケンカの物音を聞きつけた。調べてみると、ラグルズが同室の患者に暴力をふるい、怪我を負わせたのだと分かった――真っ赤になっているその浮浪者は、貨物列車の衝突事故で病院へ送られ、手当てを受けていた男だ。

「いったいこれはどういうことですか?」婦長が聞いた。

「あんにゃろ、おらの町を侮辱しやがっただ」ラグルズは言った。

「町とは?」婦長が尋ねた。

「ヌーヨークさ」ラグルズはニューヨーク訛りで言った。



[1] 無駄なことに関わろうとする人。洪水の際、モップで浸水を押し返そうとした婦人の逸話による。

[2] 白人が顔を黒く塗り、黒人の真似をして演じるエンターテインメントショー