戸山翻訳農場

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ネメシスと菓子売り 時代背景             有好宏文

“Hammerstein’s Roof Garden”(1901年)。アシュカン派の画家ウィリアム・グラッケンズ(William Glackens、 1870–1938)が描いたルーフガーデンの様子。
“Hammerstein’s Roof Garden”(1901年)。アシュカン派の画家ウィリアム・グラッケンズ(William Glackens、 1870–1938)が描いたルーフガーデンの様子。

Roof Garden

 

 冷房が存在しなかった時代、真夏のニューヨークで舞台を設けるのにぴったりの場所は、風の吹き抜ける屋上だった。

ヨーロッパの都市では、19世紀から、真夏に郊外の庭園で演劇が行われていた。ニューヨークでは、これにならって屋外庭園を造ろうにも、周囲を川に囲まれており土地が足りない。そこで、ブロードウェイの劇場群の屋上(roof)に庭園(garden)が作られることになった。

 

1883年に最初のルーフガーデンCasinoが最初にオープンし、1910年代までに計九つ造られた。このころようやく普及し始めたエレベーターも助けとなり、地上から屋上へ観客を運んだ。屋上では、日没後に、舞台で芝居や踊り、大道芸や動物の芸といった催しが披露された。屋上では、吹き付ける風の音やブロードウェイの街路からの喧騒のため、舞台からの声が観客にあまり届かなかった。そのため、多くの催しが、身振り手振りや踊りを中心に楽しむものだった。

役者やダンサーの多くは、フランスやスペインなどヨーロッパ出身者だった。この頃は、ヨーロッパが文化の中心だったのだろう。本作のマドモワゼル・アデルもフランス風の名前で描かれているのは、そういった背景を反映してのことである。

 マドモワゼル・アデルが出演している”the Aerial Roof Garden”は、本作が発表される前年の1904年に、New Amsterdam Theater(西42丁目、7番街と8番街の間)の屋上に作られた”Aerial Garden”の名前を連想させる。また、オノリアが「ブロードウェイあたりのお店」と言及するシーンも登場するが、これは、ルーフガーデンが散在する地区を指し示すことで、アイヴスを牽制しているのだろうか。

 冷房が登場した1910年代には、ルーフガーデンは時代遅れとなり始め、1929年からの大恐慌を経て、姿を消した。

 

 

入口側から見た現在のPatchin Place。周囲は煉瓦造りの建物に囲まれている。
入口側から見た現在のPatchin Place。周囲は煉瓦造りの建物に囲まれている。

Patchin Place

 

 本作の二つ目の舞台は、袋小路となっている、菓子売りの男のねぐらである。

 

 「1811年計画」によって、道路が碁盤の目状に計画整備されたニューヨークでは、袋小路は珍しい。そんな数少ない袋小路のなかでも有名なのが、西10丁目、6番街とグレニッチ街の間にあるPatchin Placeである。

 Patchin Placeは、三方を建物に囲まれた路地。近くのホテルで働くバスク人従業員の寮として、19世紀半ば、路地に面した煉瓦造り3階建ての住居が作られた。その後、寮としては使われなくなったのだが、袋小路のために人通りが少なく、プライバシーが保たれることから、20世紀初め頃には、作家や芸術家が好んですむようになった。そのため、一帯にはボヘミアンな気風が形成されていった。

 

1917年に出版された、グレニッチビレッジのガイドブックの挿絵。
1917年に出版された、グレニッチビレッジのガイドブックの挿絵。

 

 本作で描かれた袋小路と、よく似た雰囲気だったのだろう。位置も作品中の記述「ウエストサイド、六番街と七番街のあいだ」とも符合する。また、O・ヘンリーも一時ここに住んでいた。同じくニューヨークを描いた作家ドライサー(Theodore Dreiser18711945年)も暮らしたし、ジャーナリストのジョン・リード(John Reed18871920年)は、ここでロシア革命のルポルタージュ『世界を揺るがした十日間』を書いた。

 

  プライバシーが守られるその空間には、今では、芸術家たちが集まったのと同じ理由から精神療法の診療所が集まっている。”therapy row”とうニックネームも生まれた。

 19世紀、街中に作られたガス灯は、ニューヨーク市内に二つしか残っていない。今では、そのうちの片方しか点灯していないのだが、その点灯する方がPatchin Placeの突き当りにある(ただし、電化されている)。周囲の建物も、20世紀初めと変わっていない。