戸山翻訳農場

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2016年

8月

19日

アイキー・ショーエンスタインの惚れ薬         訳:間中紗永

 ブルーライトドラッグストアがあるのはダウンタウンで、バワリー通りと一番街の間の二つの通りの間隔が最も狭くなったところだ。ブルーライトは薬局を雑貨や香水、アイスクリーム・ソーダなどを扱う店とは考えていなかった。そのためこの店で鎮痛剤を注文したらボンボン菓子のようなものを処方されるということはない。またブルーライトは今風の薬局の手抜き技術を軽蔑している。そのためわざわざ自分の店でアヘンを溶媒に浸して成分を抽出してアヘンチンキを製造している。今日でもなお、丸薬は高さのある処方机の裏側で作られている――丸薬は調剤タイルの上に広げられ、へらで分けられ、親指と人差し指で丸められ、煆焼マグネシウムをまぶされて小さな丸いボール紙の丸薬入れに入れられる。ドラッグストアは街の角にあり、ぼろをまとった陽気な子供たちの遊び場になっており、この子供たちもやがて店の中でまっているのど飴や鎮痛シロップのお世話になるのだ。

 アイキー・ショーエンスタインはそんなブルーライトドラッグストアの夜勤店員で、客とは仲が良かった。ブルーライトはイーストサイドにあったので薬剤師の心は冷たいものではなかった。そこでは、当然のことだが、薬剤師はカウンセラーであり、懺悔を聞く司祭であり、有能でやる気のある宣教師や指導者で知識を尊敬されており、彼の神秘的な知恵が尊ばれていたので、彼の薬はしばしば服用されないまま排水溝へ流されることもあった。そのため、アイキーの角のような形で眼鏡をかけた鼻や、痩せて知識の重みで背中が曲がった姿はブルーライトの近隣によく知られており、彼の助言や知恵はとても重宝されていた。

 アイキーが下宿し朝食をとっていたのは店から二区画ほど離れたリドル夫人の家だった。リドル夫人にはロージーという名の娘がいた。まわりくどい言い方は無駄になるだろうし、――あなたもお察しだろうが――アイキーはロージーにくびったけだった。彼女はアイキーの心の全てに薬品のようにしみこんでいた。彼女は化学的に純粋で薬効のある全てのものの抽出物を調合して作られたかのように完璧で、どんな調剤手引書にも彼女に匹敵するような成分はなにひとつ載っていなかった。しかしアイキーは引っ込み思案で、彼の恋心は内気や不安という溶液のなかで溶解せずに残っていた。カウンターの後ろにいる彼は優秀な人物で、落ち着いており専門の知識とその価値を熟知していたが、カウンターの外では弱腰で、鈍感で、路面電車の運転手に怒鳴られながらぶらぶら歩いているような男で、薬品の染みがつき、ソコトリンアロエや吉草酸アンモニアのいおいがするサイズの合わない服を着ていた。

 アイキーの「軟膏の中のハエ」――なんとまぁぴったりの比喩だろう!――といえばチャンク・マクゴワンだった。

マクゴワン氏もまたロージーが投げかける輝かしい笑顔をキャッチしようと奮闘していたのだ。しかし彼はアイキーのようにただ待っているだけの外野手ではなく、すぐさま輝かしい笑顔をバットで打ち取っていくのだった。そして同時にマクゴワン氏はアイキーの友人でありお得意様で、マクゴワン氏はしばしばバワリー通りで楽しい夜をすごした後にブルーライトドラッグストアに立ち寄ってはあざにヨードチンキを塗ってもらったり、切り傷にばんそうこうを貼ってもらったりした。

 ある昼下がり、マクゴワン氏は何も言わずふらりとやってきた。彼はリラックスした様子で、上品でひげのない顔で、人のよさそうな顔に鋭く断固とした表情で丸椅子に腰かけた。

 「アイキー」と彼が声をかけると、彼の友人は乳鉢を持ってきて向かい側に座ると、安息香をすりつぶしはじめた。「ちょっと耳を貸してくれ。君が俺の必要としているようなものを持っているなら薬が欲しいんだ」

 アイキーはマクゴワン氏の顔をつくづく見ていつものような喧嘩の跡がないかと探したが、何も見つけることはできなかった。

 「コートを脱げよ」アイキーは彼に指示した。「すでに察しはついているぞ、あばらの辺りでもナイフで刺されたんじゃないか。僕が何度も言っているじゃないか、ラテン系の奴らは危ないって」

 マクゴワン氏は笑った。「あいつらじゃない」彼は言った。「ラテン系の奴らは関係ないんだ。しかしさすがもうどこを診ればいいかわかっているな――それはコートの下、肋骨の近くだ。そうさ!アイキー、ロージーと俺は今夜駆け落ちして結婚するつもりだ」

 これを聞いたアイキーの左の人差し指は力が入って二つに折り曲り、乳鉢のふちをしっかり掴んで固まってしまった。また、彼は乳棒で乳鉢を乱暴に叩き付けてしまったが、その感触は全くなかった。いっぽう、マクゴワン氏の笑顔は徐々に憂鬱な表情に変わっていった。

「問題は」彼は話を続けて「彼女がその時まで意志を変えないかなんだ。すでに二週間かけて駆け落ちの手筈を整えてきた。だがある日の昼にはすると彼女は言うが、その日の晩にはやらないというんだ。俺たちは今夜ということで同意して、ロージーも今回はまる二日間も変わらずそのつもりのままでいる。でもまだその時まで五時間もあるし、彼女が怖気づかないかが心配なんだ」

 「君は薬が欲しいんだよな」とアイキーは言った。

 マクゴワン氏は不安で落ち着かず悩んでいる様子で、彼の状態はいつもの態度とは反対だった。彼は医薬年鑑を丸めて無駄に慎重に指に巻き付けた。

 「この二重苦で今夜の出発を万が一にも失敗したくないんだ」と彼は言った。「すでにハーレムに小さいアパートを手に入れてあるし、菊をテーブルの上に飾って、薬缶はいつでもお湯が沸かせるようになっている。そして牧師と約束して九時三〇分には彼の用意ができている。駆け落ちは実現できるんだ。もしロージーがまだ気を変えなければね!」マクゴワン氏は疑惑の餌食になっていた。

 「まだわからないな」アイキーはそっけなく言った。「どうして君が薬の話をするのか、僕に何ができるのか」

 「リドルの旦那はちっとも俺のことをよく思ってなくて、」不安な気持ちの求婚者はなんとか自分のいいたいことをまとめようとしながら話をつづけた。「一週間もロージーが俺と出掛けるのを許さなかった。もし下宿人を1人失うということがなければ、とっくに俺を追い出していただろう。だが俺は一週間に二〇ドル稼いでいるし、彼女だってこのチャンク・マクゴワンと駆け落ちしたことを絶対に後悔しないだろう」

 「この辺で失礼するよ、チャンク」アイキーは言った。「これからすぐに取りに来る人がいる薬をつくらなきゃいけないんでね」

 「なあ」とマクゴワンは言って突然顔を上げた。「例えばアイキー、こんな薬はないか――もし飲ませたら女の子がもっと相手のことを好きになってくれるような粉薬は?」

 アイキーの鼻の下に隠れた唇は知的な優越がもたらす軽蔑でゆがんだが、答える前にマクゴワンはこう言葉を続けた。「ティム・レイシーは言ってたけど、一度アップタウンの藪医者からそんなものを手に入れて、ソーダ水に混ぜて自分の恋人に飲ませたそうだ。そしたらすぐに彼がすばらしく魅力的な男性に見えるようになり、彼女にとって他のどんな人も皆30セントくらいにしか見えなくなった。彼らは二週間もしないうちに結婚したよ」

 チャンク・マクゴワンは剛健で単純な男だった。アイキーよりも鋭い読者諸君なら彼のたくましい体が細いワイヤーをぴんと張ったように緊張しているのがわかっただろう。彼は今にでも敵の領土に攻め込もうとしている将軍のように、想定される全ての失敗を回避しようと手を尽くしていた。

 「思ったんだが」と続けてチャンクは期待に満ち溢れながら「もしぼくが今夜彼女と夕食をとるときにそんな薬があったなら、きっと彼女をやる気にさせて駆け落ちの約束をすっぽかそうなんて気をおこさせないんじゃないか。俺は彼女を引っ張りだすのにラバの一団が必要だと思っているわけではないんだ。でも女ってやつはベースの間を走るよりコーチする方に長けているってものだろう。もしその薬が二時間ほどうまく効くなら、賢い手段だろう」

 「いつその無謀な駆け落ちを実行するんだ?」とアイキーは尋ねた。

 「九時だ」マクゴワンは言った。「夕食を七時にとる。八時にロージーは頭痛だと言って寝床に就き、九時にプロヴェンザノ爺さんが裏庭に通してくれる、そこには隣のリドル家との塀の板が一枚外れているところがある。俺は彼女の部屋の窓の下に行き、彼女が避難用のはしごで降りてくるのを手伝う。俺達は早いうちに牧師の話までやりとげなくちゃならない。全てが簡単に終わるんだ、いよいよスタートだって時にもし彼女がためらわなければね。そんな粉薬を僕に一つ作ってくれないかい、アイキー?」

 アイキー・ショーエンスタインはおもむろに鼻をこすった。

「チャンク」と言って彼は「その薬は薬剤師がとても注意深くないといけないタイプのものだ。僕の知り合いの中でもこのような薬をあげることができるのはよく知っている君ただ一人だけだ。しかしきみのためなら僕はうまく作ってやるし、君はロージーがこの薬によって君をどう思うようになるかしかと見ておくといいだろう」

 アイキーは処方机の後ろに移動した。そこでかれは二つの水溶性の錠剤を粉状に砕いたが、それにはそれぞれにつき四分の一グレーンのモルヒネが含まれていた。それらにかれは少量の乳糖を加えてかさを増し、この混合物を白い紙で丁寧に包んだ。この粉薬は、大人が服用するのであれば、摂取した者を数時間の深い眠りへと誘うだろうが危険を及ぼすことはない。できる限り液体の中に入れて投与するようにと伝えながら、マクゴワンに手渡した、すると裏庭のロッキンバー(*)から心からの感謝を受け取った。

 アイキーのずるがしこさは彼がした次の行動を知れば明らかになる。彼はリドル氏に使いを送り、ロージーとの駆け落ちというマクゴワンの計画を暴露したのだ。リドル氏はでっぷりとした男で、くすんだ煉瓦のような肌の色をしており短気だった。

 「誠に感謝するよ」彼は手短にアイキーへ告げた。「ぐうたらなアイルランド人の馬の骨め!俺の部屋はちょうどロージーの真上にある。夕食が終わったら部屋まで行って、ショットガンに弾を込めて待ち伏せてやる。裏庭に来たら彼奴は婚礼の馬車ところか救急の馬車で出ていくことになるだろうよ」

 ロージーは眠りの神モルフェウスの手の内にあって何時間もぐっすりと眠りつづけており、血に飢えた獣のような親父が待ち構えているが、前もってうけた警告で銃を装備していることを考えると、アイキーは彼のライバルがほぼ確実に失敗するのを感じた。

 一晩中ずっと、ブルーライトドラッグストアでアイキーは偶然悲劇のニュースが飛び込んでくることを期待して仕事をしながら待っていたが、何の音沙汰もなかった。

 朝八時、昼番の店員がやってくるなり、アイキーはリドル夫人の元へ大急ぎで向かった。すると、どうだろう!アイキーが店を一歩出たその時、チャンク・マクゴワンが通りを過ぎて行きつつある路面電車の中から飛び出してきて、彼の手をがっちりと握ったのだ。その顔は勝者の笑みを浮かべ、喜びで光り輝いていた。

 「うまくいったよ!」そう言うチャンクは楽園にいるような至福の表情だった。「ロージーは避難用のはしごに一秒も遅れず時間ぴったりに表れて、ギリギリで牧師さんのところに着いたのは九時三〇分一五秒だった。彼女はアパートにいて――卵を焼いてくれたんだ、今朝、青いキモノを着てさ――ああ、俺はなんて幸運なんだろう!君もそのうち遊びにこいよ、アイキー、一緒に食事でもしようじゃないか。俺は仕事を得て、橋の近くなんだがこれから向かうところなんだ」

 「あ、あの粉薬は?」どもりながらアイキーは尋ねた。

 「ああ、君がくれたあの薬か!」笑いで顔が崩れたチャンクは言った。「つまり、こんな感じだったんだ。俺は昨晩リドル家の夕食の席についていた。もちろんロージーのことを見ていたよ。そのとき自分に言い聞かせたんだ。『チャンク、もし本気で彼女を手に入れたいなら正々堂々とやれ、彼女みたいな良いとこのお嬢さんにインチキはするのはやめるんだ』ってね。それで俺は君に作ってもらった粉薬をポケットに入れたままにしておいた。その時ふとその場にいる別の人が目に入って、こう考えたんだ、この未来の娘婿にちゃんとした愛情を抱けずにいる人に気に入ってもらえばいい。要するに、俺は機会をうかがってどばっとあの粉薬をリドルの旦那のコーヒーに入れたんだ。――わかったかい?」

 

 

 

 

(*)ロッキンバー:Sir Walter Scott の詩Marmion(1808)の主人公。他の婚約者がいる女性と恋におち、結婚前に花嫁を奪っていった。ロマンチックな求婚者を指す