戸山翻訳農場

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2017年

2月

27日

カクタスからの買い付け人            訳:荒井麻友子

テキサス州カクタス市近辺は健康によい土地柄で花粉症や風邪が流行しないのは結構なことである、なぜならこの地で織物類を商っている〈ナバーロ&プラット商店〉は鼻で笑われるべき存在ではないからだ。

 カクタス市の二万の住民たちは、気前よく手持ちの銀貨を撒き散らす。その大量の準貴金属の行き先は〈ナバーロ&プラット商店〉と決まっている。彼らの巨大な煉瓦造りの店は一ダースの羊を放牧するのに十分な広さである。そこではガラガラヘビの皮製ネクタイも、自動車も、そして八十五ドルの、最新流行、様々な色合いのなめし皮婦人用コートに至っては、二十種類も揃えている。〈ナバーロ&プラット商店〉はコロラド川以西に初めてのビジネスを持ち込んだ。彼らは農場主だったが、商才があり、誰の者でもない自由に使える草原が尽きた(注一)からといって、何も世界まで回転をやめる必要はないだろうと考えていた。

毎年春になると、ナバーロという共同経営者の年上の方で、歳は五十五、スペイン人の血がまじっていて、都会的で、有能、おまけに洗練された男は、ニューヨークまで「詣で」をして商品を買い付けていた。しかし、今年は長い道のりを思うと腰が重かった。迫りくる老いは疑いようもなく、一日に何度も時計を見るようになったのは他ならぬ昼寝の時間を待ち望むためであった。

「ジョン」彼はそう言って、年下の共同経営者を呼び止めた。「今年は君に買い付けしてもらいたいのだが」

プラットは、見るからに乗り気ではなかった。

「聞くところによると」と彼は切り出し、「ニューヨークは完全に死んだ街みたいじゃないですか、でも行きますよ。道すがら何日かサンアントニオの街によれば、けっこう楽しめるでしょうから」

二週間後、一人の男がテキサス流の正装である黒のフロックコート、つば広の柔らかな白い帽子、襟が四分の三インチの高さに折り曲げられたシャツ、そして錬鉄のように真っ黒なネクタイという出で立ちで、服の卸売りの、ロウアー・ブロードウェイにある〈ズィズバウム&サン〉に入っていった。

 老ズィズバウムは、ミサゴのような眼力とゾウのような記憶力をもち、そして知力は幾重にも畳まれた大工の折り尺を一気に開くようなものであった。彼はブルネットの髪のホッキョクグマよろしく、のっそりと身体をゆすって店頭に現れ、プラットの手を握った。

「さて、ナバーロ様はテキサスで、いかがお過ごしでしょうかな」彼は言った。「あの方も長旅がきつくなった、そうでございましょう? それで、代わりにプラット様をお迎えすることになったのですね?」

「図星だね、」プラットが言い、「ペーコス郡の荒れ果てた土地を四十エーカー分差し上げるならば、なぜわかったのか教えてもらえるかな」

「存じ上げておりましたとも、」にやりとズィズバウムは笑い、「今年のエルパソの雨量が二十八・五インチで、十五インチばかり増えたということですから、〈ナバーロ&プラット商店〉様は今年の春に一万五千ドル分の衣類を仕入れくださるのでしょう、雨の少ない年なら一万ドルですけれども。まあ、そんな話は明日にいたしましょう。まずは私の部屋で葉巻でも一服していただいて、リオ・グランデだかなんだかの向こうから密輸された安物の味をお忘れいただきましょうか、あんなのは所詮、密輸モノですからな」

もう午後も遅かったので、その日はほとんど店じまいしていた。ズィズバウムはプラットを残して半分吸いかけの葉巻を手に社長室から出ると、彼の息子は鏡の前でダイアモンドのネクタイピンを整え、今にも出かけようとしているところだった。

「アビー」彼は言った、「今夜、プラットさんをお連れして今夜あちこち案内してやってくれ。十年来のお客さんだ。ナバーロさんと私は、暇さえあれば二人でチェスをしていたものだがね。それも結構だが、プラットさんは若く、初めてのニューヨークだ。気軽に楽しんでもらいたい」

「わかった」アビーは言いながら、ネクタイピンをしっかり締めた。「連れて行くよ。彼にはフラット・アイアンビルを見てもらってから、アスター・ホテルの例のウェイターに高級料理をよそってもらい、蓄音機が『古い林檎の木の下で』(注二)を奏でるのを聴いたらもう十時半くらいだろうから、ミスター・テキサスも毛布にくるまりたくなっているはずだな。僕は食事の約束が十一時半頃にあるけれど、それまでには『ミセス・ウィンズロー』(注三)にやられたようにぐっすりお休みのことだろう」

翌朝十時、プラットは商売する気持ちの用意をして、店の中へと入った。彼は一房のヒヤシンスを襟に留めていた。ズィズバウムが自ら対応した。〈ナバーロ&プラット商店〉は得意先であり、現金払いのため必ず値引きを求めてきていたからだ。

「それで、私どもの小さな街はいかがでしたかな」尋ねたズィズバウムの顔には、マンハッタン人特有のいやらしい愛想笑いが浮かんでいた。

「住みたいとは全然思わないね」テキサスの男が言った。「昨夜は息子さんとかなり色々と街を見て回ったよ。水はまずくないが、カクタスの方が明かりの感じがいいかな」

「ブロードウェイにも、かなり街灯がございましたでしょう、プラットさん?」

「まあ、暗いところも結構あったけどね、」プラットは言った。「思うに、私はこちらの馬が一番気に入ったみたいだ。老いぼれ馬にはお目にかかっていないからな、こっちに来てから」

ズィズバウムは彼を二階へと案内し、洋服の見本を見せようとした。

「ミス・アッシャーに来てもらってくれ」彼は店員に言った。

 ミス・アッシャーが来た、〈ナバーロ&プラット商店〉のプラットは、生まれて初めて、眩いばかりのロマンスと栄誉が我が身に舞い降りたのを感じた。コロラド川のグランドキャニオンにそびえたつ花崗岩の堅固な絶壁のように立ち尽くし、大きく見開いた目を相手の女性に向けた。彼女は視線に気づき顔を少し赤らめたが、それはいつもの彼女らしからぬことであった。

ミス・アッシャーは〈ズィズバウム&サン〉でピカイチのモデルだった。ブロンドの髪はいわゆる「ミディアム」で、スリー・サイズは標準である三八‐二五‐四二インチ(注四)を少し上回るスタイルをしていた。ズィズバウムの店には二年勤めており、自分の仕事をよくわきまえていた。彼女の瞳は輝いていたが、冷静そのものだった。もしも彼女がかの有名な怪物バシリスクにその視線を向けたとしても、怪物のにらみを揺らがし、弱らせてしまっていただろう。ちなみに、彼女は買い手というものを承知していた。

 「さて、プラットさん」ズィズバウムが言った。「こちらのプリンセスガウン(注五)を、ぜひ明るいところでご覧になっていただきたい。あちらの気候にこそ打ってつけかと。それでは、まずこれを、ミス・アッシャー」

 すばやく試着室を舞うように出入りする美しきモデルは、その度に新しい衣装を身にまとい、その美しさは衣装を替えるごとにいっそう増すのだった。完璧なまでの落ち着きをもってポーズを取る彼女の前に買い付け人は立ち尽くし、ものを言うことも動くこともできずにいた、そばではズィズバウムがデザインについて熱弁をふるっていた。モデルの顔には職業上の無機質な微笑みが浮かんでいて退屈と軽蔑の念を隠していた。

お披露目が終わったとき、プラットの顔にはためらいの表情が浮かんでいるように見えた。ズィズバウムは少し気を揉んだ、ひょっとしてこの客は他の店をあたろうと考えているのでは、と思ったのだ。しかし、彼はただ、カクタスの最高の宅地を思い起こし、家を建てる場所を選ぼうとしていただけだった、それは妻、となる人のためで、その女性はちょうど試着室で、ラベンダー色で薄絹のイブニング・ガウンを脱いでいるところだった。

 「お急ぎになる必要はありませんよ、プラットさん」ズィズバウムが言った。「今夜ひと晩お考えください。うちと同じ値段でこうした品をお目にかけるところは他にはございません。ニューヨークでさぞ退屈かと、プラットさん。あなたのような若い方ならもちろん、ご婦人方とのお付き合いが恋しいでしょう。今晩、素敵な若い女性を夕食にお連れしたらいかがですか。ミス・アッシャー、そう、彼女はとても素敵な女性でございますし、あの子とならお楽しみいただけますよ」

 「いや、彼女と面識があるわけじゃないんだから」プラットが、信じられないというように返した。「俺のことなんて何ひとつ知らないんだ。来てくれるだろうか。知り合いでもないのに」

 「来てくれるだろうか、ですと」ズィズバウムがおうむ返しに言い、眉を上げて呟いた。「もちろん、お伴しますよ。私が紹介いたします。もちろん、お伴しますとも」

 彼は大きな声でミス・アッシャーを呼んだ。

 彼女がやって来た、落ち着きがありつつも幾らか人を馬鹿にしたような表情を浮かべ、白いシャツブラウスに黒い無地のスカートをはいていた。

 「プラットさんが君と夕食を共にしたいとおしゃっているのだが、今夜にでも」ズィズバウムは、その場を去りながら言った。

 「ええ」ミス・アッシャーは答えたが、その目線は天井を仰いでいた。「喜んでご一緒させていただきますわ。西二十丁目の九百十一よ。時間は?」

 「七時では?」

 「わかりましたわ、でもそれより前にはいらっしゃらないでください。私、学校の先生と同居しているのですが、彼女はどんな紳士も部屋には入れさせないんです。客間はありませんから、玄関でお待ちになって。それまでには支度しておきますから」

 七時半、プラットとミス・アッシャーはブロードウェイのとあるレストランのテーブルについていた。彼女は無地の、肌が透けて見える黒い服を着ていた。プラットがわかっていなかったのは、彼女にとって、これはその日の仕事の一部に過ぎなかったことである。

 有能なウェイターのさりげない気配りのおかげでプラットは恥ずかしくないディナーを注文でき、通常のブロードウェイの常識に関する知識の浅さをごまかすことができた。

 ミス・アッシャーはまばゆい笑みを彼に投げかけた。

 「飲み物を注文してはいけないかしら」彼女が訊いた。

 「ああ、もちろん、」プラットが答えた。「何でも好きなものを」

 「ドライ・マティーニを」彼女はウェイターに言った。

 飲み物が運ばれて彼女の前に出されると、プラットが手を伸ばし、それを取り上げた。

 「これは何だい?」彼が尋ねた。

 「カクテルよ、もちろん」

 「お茶か何かを注文したのかと思った。アルコールじゃないか。こんなものを飲んではだめだ。君のファーストネームは?」

 「親しい友人の間では、」ミス・アッシャーが言い、よそよそしさを漂わせた、「ヘレンで通っていますわ」

 「いいかい、ヘレン、」プラットが口を開き、テーブルに身を乗り出した。「何年ものあいだ春の花々がプレーリーに咲き乱れるたびに、俺はまだ目にしたことも耳にしたこともない人のことを思ってきた。その誰かが君だったとわかったんだ、昨日会った瞬間にさ。俺が故郷に帰る明日、君も一緒に来るんだ。わかっているよ、初めて君が俺を見たときのあなたの目がそう言っていたから。断る必要なんてないよ、君も俺と同じ考えのはずだ。これ、ちょっとした物だけど来る途中で君のために選んできたんだ」

 彼は二カラットのダイアモンドの指輪をすっとテーブルの上で滑らせた。ミス・アッシャーはそれをフォークでさっとはじき返した。

 「なれなれしくなさらないで、」彼女は返したが、厳しい口調になっていた。

 「俺には十万ドルの財産があるんだ」プラットが言った。「西テキサスで一番の家を建てよう」

 「お金じゃ私を買えないわ。買い付け人さん。一億ドル持っていたとしてもね。あなたにこんな文句を言うなんて思ってなかったのに。他の人とは何か違うように見えたのに。でも、みんな似たり寄ったりなのね」

 「みんな、って?」

 「買い付け人みんなよ。こう思っているんでしょ、私たち女店員が夕食のお供をしないと仕事をクビになる、だから好き勝手言ってもかまわないって。いいわ、忘れて。他の人とは違うのかなって思っていた私が間違いだった」

プラットは、指でテーブルを叩いた。突然何かひらめいたかのように。

 「そうか!」彼はほとんど浮かれていた。「ニコルソンのところだ、北側の方の。あそこならオークの木立もあるし、湖もある。あの古家は取り壊して、新しいのをもっと奥に建てればいいんだ」

 「いいかげんにして」ミス・アッシャーが言った。「目を覚まさせるようで申し訳ありませんけど、ちゃんとお気づきになった方がよいのではないかしら、ご自身の立場をね。私があなたと食事をして、おべんちゃらを言ってまでお浮かれになる手助けをして差し上げるのは、あのズィズィー爺さんと取り引きさせるためよ。私をあなたが仕入れる洋服と一緒にしてもらっては困るわ」

 「ということは」プラットが言った、「こんな風にお客と出掛けると、彼ら――その、買い付け人はみんな俺みたいな話をするということかい」

 「みんな私の気を引こうとするわ。でも、一応言っておくと、あなたには一つだけ他の連中よりマシなところがある。他の人はいつもダイアモンドの話をするだけで、実際に出して見せてくれたのは、あなただけよ」

 「何年仕事しているんだい、ヘレン」

 「名前は覚えてくれたのね、買い付け人さん。八年間、自分で生計を立ててきたの。使い走りをして、ラッピングして、それから接客をしてやっと一人前になったわ。それからスーツモデルになったのよ。テキサスさん、ちょっとワインをいただいた方が、このディナーに潤いが増すんじゃなくって?」

 「これからはワインなんか飲まないように、ね。考えただけでもぞっとするよ、まったく。明日、店に行くよ、君を連れていく。出発の前に車を一台選んでおいてほしい。ここで俺たちが買う必要のあるものはそれだけだ」

 「もう、いいかげんにして? わかっているでしょ、もうそんな話は聞き飽きてうんざりだって」

 夕食後、二人はブロードウェイを下り、木々の生い茂る中でディアナ(注六)の像がそびえ立つ公園に差し掛かった。木々がプラットの目に飛び込んできたために、足元の曲がりくねった道に沿って歩かなければならなかった。街灯の光がモデルの目に浮かぶ二粒の涙を照らし出した。

 「やめてくれよ」プラットが言った。「一体どうしたんだい?」

 「気にしないで。だって、そうでしょ、あなたに初めて会った時にはそんなことをする人には見えなかったのに。結局みんな同じなのよ。ねえ、家まで送ってくださらないかしら、それとも警察を呼ぶ?」

 プラットは下宿先のドアまで彼女を送った。二人は少しの間玄関で立ち尽くした。あまりに激昂の色に満ちたまなざしで彼を見たので、強い彼の心臓もさすがに揺らいだ。プラットの腕が腰に回りかけたところで、彼女は彼の顔面にきつい一発を喰らわせた。

 彼が後ずさりすると、どこからか指輪が転がり落ちてタイルの床を跳ねた。プラットは手探りでそれを見つけ出した。

 「さあ、役に立たないダイアモンドを持って帰って、買い付け人さん」彼女は言った。

 「実はこれ、もう一個あったんだ。結婚指輪さ」テキサス氏は言いながら、手の平に滑らかな金の指輪を載せた。

 ミス・アッシャーの目が薄暗がりの中できらめいた。

 「そういう訳だったの? あなたは……」

 入口のドアを内側から開けた者がいた。

 「おやすみ、」プラットが続けた。「明日、店で」プラットが言った。

 ミス・アッシャーは部屋に駆け上がり、ルームメイトの教師の体を何度も揺り動かしたので、彼女はベッドの上に体を起こして「火事!」と叫びそうになった。

 「どこなの?」教師が大声で言った。

 「それよ、私が知りたいのは」モデルが言った。「あなた、地理を勉強していたわよね、エマ。それなら知っているはずよ。どこなの、カク、カク、カラカ、そのカラカス市っていうのは。たしか、そんな名前だったと思うけど」

 「そんなことで私を起こすなんて」教師が言った。「カラカスって言ったら、もちろんベネズエラでしょ」

 「どんなところ?」

 「まあ、主に地震が起こって、黒人や猿がいて、マラリア熱だの火山だのってとこね」

 「かまいやしないわ」ミス・アッシャーが浮かれて言った。「私、明日そこに行くわ」

 

 

〈注釈〉

一:一八九〇年、米国国勢調査局が「フロンティアの消滅」を宣言。アメリカの西部開拓が終結した。いわゆる開拓精神も失われることとなった。

二:アメリカの作詞・作曲家ハリー・ウィリアムズ(Harry Williams)と作曲家エグバート・バン・アルスタイン(Egbert Van Alstyne)の共作として、一九〇五年に発表された楽曲。多くの歌手によって歌われ、一九四九年のイギリス映画で劇中歌として使われた。

三:当時流行していた疳の虫(かんしゃく、ひきつけ)を抑える薬。

四:約 九六‐六五‐一〇六 センチ。

五:丈の長く、ゆったりと仕立てた室内着。なかでもウエストに切り替えがない、身ごろとスカートがひと続きになったワンピースのガウン。

 

六:ローマ神話に登場する、狩猟、貞節と月の女神。