戸山翻訳農場

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小さなライン城のハルバディアー                近藤みか

 私が時折訪れる「ビアホール」兼レストランはオールドミュンヘンという。一頃は面白いボヘミア人たちの溜まり場だったが、近頃はもっぱら芸術家や音楽家や文学好きが足繁く通う。それでもピルスナービール [1]はやはり美味いし、一八番のウェイターとお喋りすると気がまぎれる。

 長年オールドミュンヘンの客たちは、ここが古き時代のドイツの街を忠実に再現した場所だと信じてきた。大きなホールを支えるくすんだ垂木、ずらりと並ぶ輸入物の蓋付きジョッキ、ゲーテの肖像、そして壁に描かれた詩句の数々――シンシナティ [2]の詩人たちの作品をドイツ語に訳したものだったが――はグラスの底を通して眺めるとそれらしく見えるのだった。

  しかしついこの間、オーナーが上に新たな空間を設け、〈リトル・ラインシュロス(小さなライン城)〉と名付けて階段を作り付けた。登ると、蔦に覆われた胸壁が再現されていて、壁面には奥行きと高さを演出した絵が描かれ、曲がりくねったライン川が葡萄畑の麓を走り、エーレンブライトシュタイン要塞が入口の真正面におぼろげに見えた。もちろんテーブルと椅子も置かれている。ビールと食事を頼むこともできるが、ライン川沿いに建てられた城の屋上とくれば、当然のもてなしだ。

 ある午後オールドミュンヘンに出向くと客はわずかで、私は階段のそばのいつもの席に座った。驚き不快にすら感じたのは、譜面台の傍にあった硝子のシガー・ケースが粉々に砕け散っていたこと。オールドミュンヘンでは、何事も起こってほしくなかった。何かが起こったことなど、今まで一度もなかったのだから。

 ウェイター一八番は私のもとにやって来て、そばを離れようとしなかった。事の次第は彼に任せよう。一八番の脳みそはまるで牧場の柵のようなのだ。そこにはたっぷりアイディアが詰まっていて、ひとたびゲートが開かれると、羊の群れみたいにどっと飛び出してくるのだが、後からまとまるものもあれば、出たきりどこかへ行ってしまうものもある。私には羊たちをまとめる力はない。一八番は何にも分類できなかった。彼に国籍や、家族や、信条や、不満や、趣味や、魂や、好みや、家や、投票権があるのか見当がつかなかった。彼はただ私のテーブルへやって来て、時間の許す限り、言葉の数々を口から羽ばたかせるのだ、まるで燕たちが夜明けに納屋を飛び立っていくように。

 「いったいどういうわけでシガー・ケースが壊れたんだい、一八番」私は訊ねた、私の気持ちとしてはそれがちょっと不満だったから。

 「お話しましょう、お客さん、」と彼は言って、隣の席に足を乗せた。「こんな経験ってありますか、誰かが両手いっぱいの幸運を手渡してくれるっていうのに、両手が不運で塞がっていて、改めて指の状態を確かめようとしたこと。」

 「謎掛けはやめろ、一八番、」私は言った。「手相占いやマニキュアの話をしてるんじゃない。」

 「覚えていますか」と一八番は言った。「あの男のこと。打ち出し真鍮のフロックコートに、模造金のズボン、銅合金の帽子をかぶって、肉切り包丁とアイスピックがくっついた旗竿を持っていた男。リトル・ラインシュロスへ上がる踊り場に立っていた。」

 「なんだ、覚えてるさ」と私は答えた。「ハルバディアーだ。特に気にしたことなかった。ただの甲冑かなと思っていた気がする。全く動かないし。」

 「それだけじゃないです。」一八番は言った。「彼、ワタシ、友達でした。広告塔です。ボスが雇って景色として階段に立たせたんです、上に昔なつかしの面白いものがあるって見せるために。さっきなんて言いました――なんとかビール(ビアー)

 「ハルバディアー」私は言った。「昔の衛兵だ、何百年も前の。」

 「ちょっとマチガイあります。」一八番は言った。「この人はそんなに年じゃなかった。二十三、四にもなっていません。」

 「ボスのアイディアです。誰かに南北戦争より前のブリキの鎧を着せて、シュロスの踊り場に立たせることにしたのは。ボスは四番街の骨董屋で一式揃えてきて、表に張り紙を出しました。『求む、屈強なハル…ハルバディアー、衣装は支給』

 「その朝のうちに、くたびれた高級な服を着た若い男が、腹を空かせた様子で、張り紙を手に入って来ました。ワタシは一八番テーブルで容器いっぱいにマスタードを詰めているところでした。

 「『俺に任せな』彼は言いました。『何でもやるよ。でもレストランでハルバディアーになったことはない。着るよ。それって仮装パーティー(マスカレード)[3]だろ?』

 『はい、キッチンで今日はフィッシュボールが出るって聞いたんで。

 『おまえ面白いこと言うね、一八番』彼は言いました。『気が合いそうだ。ボスのデスクまで連れてってくれ。』

 「そこでボスが鋼のパジャマを着せてみると、丸焼きにした鯛のウロコみたいにピッタリで、採用です。ご覧になったでしょう――踊り場の端っこにシャンと立って、斧槍(おのやり)担いで、まっすぐ前見て、城門守ってる。ボスは夢中なんですよ、ほんものの旧世界の香りを、この酒場に漂わせようとラインシュロスと来たらハルバディアーだ。』とおっしゃるんです。『ラッツケラーと来たらねずみだし、チロルの村と来たら白い綿靴下だし。ボスはまるで()者です、データや情報なんかがポンポン出てきて。

 「午後八時から深夜二時までがハルバディアーの勤務時間。食事は二回、ワタシたちが食べさせ、給料は一晩一ドルです。ワタシも同じテーブルで食べます。彼、ワタシのこと好きでした。名前は言いませんでした。自由に旅をしていました、なんだか王様みたいに。最初の日、夕食のときに、ワタシ彼に言ったんです。『もっとジャガイモどうぞ、フリーリングハイゼンさん。』『おっと、そんな堅苦しく他人行儀になるなよ、エイティーン。』彼は言いました。『ハルって呼んでくれ――ハルバディアーの略だ。』『あの、名前を探りたかったわけじゃないんです。』ワタシは言いました。『ワタシよく知っています、富と栄光から目まぐるしく落っこちた人たちを。伯爵がキッチンで皿洗いをやっているし、三番のバーテンダーはむかしプルマン式列車の車掌でした。みんなちゃんと働いてるんです、あなたはあの聖杯を探しているパーシヴァル様[4]みたいなものでしょう。』とワタシは言いました、皮肉っぽくなったけど。

 「『一八番、』彼は言いました。『ザワークラウト地獄の優しい悪魔さんよ、どうかこのステーキを切っていただけないか?こいつに俺より筋肉があるとは思えないが…』と言い、ワタシに両方の手のひらを見せてくれました。まめと切り傷だらけ、ザラザラで、腫れ上がって、筋切りした二枚の脇腹肉のステーキのようでした――肉屋なら隠して家に持って帰るようなやつ、どこが最高の肉かを知っていますから。

 「『石炭を掘ってさ』彼は言いました。『煉瓦を積んで、荷車に載せてたんだ。でもその仕事は終わっちまったから、職が無くなった。俺はハルバディアーになるべく生まれてきた男だ。二十四年間も教育を受けてきたのは、ハルバディアーになるためだ。いいか、この俺の天職をこきおろすのはやめにして、その肉をもっと寄越せ。いま閉会式の途中なんだよ、』彼は言いました。『四一八時間に及ぶ断食大会のね。』

 「お仕事二日目の晩、彼は持ち場からシガー・ケースのところへ歩いていって、紙巻き煙草を要求しました。テーブルのお客樣方は、みなさんクスクスと笑いながら、歴史のうんちくを披露されていました。そこにボスの登場です。

 「『アナク…』――アナクロ――アナーキ――『アナーキズム。』とボスが言いました。『ナイン、ナイン、紙巻き煙草、ハルバディアーが発明されたときにはない。』

 『あなた方が売ってるものはありましたよ、』とパーシヴァル様は言いました。『カポラル[5]なら大昔からあったじゃないですか、フィルターがあるかないかくらいの差で。』彼は煙草を取って火をつけ、箱をヘルメットにしまって、ラインシュロスの巡回に戻りました。

 「彼は大人気でした。特に女の人たちには。なかには指でつっついて、生きているのか、泣く泣く葬ったぬいぐるみみたいなものでしかないのか、確かめる方もいました。動くときゃあきゃあ騒いで、色目を使いながらシュロスに上がっていくんです。彼のハルバディアーっぷりはなかなかのものでした。彼は三番街の一間に週二ドルで寝泊まりしていました。一度夜にワタシ招待されました。洗面台に小さな本が一冊あって、仕事上がりはあちこちの酒場には寄らず、読んでいたようです。『知ってますよ、』ワタシ言いました、『小説で読んだことありますから。放浪する英雄たちはみんな小さい本を持ち歩いているんですよね。タンタウルスとかレバニラウスとかホラティウスとか、しかもラテン語で書いてあって、あなたは大学を出ているんでしょう。でも別に驚いたりしませんからね、』とワタシ言いました、『もしも学歴がなくっても。』しかしその本は、過去十年のリーグの打率一覧表でした。

 「ある晩十一時半ごろ、羽振りのいいひとたち来ました。いつも知らない食べ物屋を探しまわっては、冷やかすようなひとたちです。おしゃれなお嬢さんは四十馬力の自動車に乗ってなめし皮色のコートとヴェールに身を包み、太ったジイさんは白い頬ひげを生やし、若い兄ちゃんはお嬢さんのコートの裾を踏まずには歩けず、ややおばさんの女の人は人生なんてふしだらなオマケみたいなものよ、という風でした。『とっても愉快な、』とみんなは言って、『シュロスの晩餐。』と唱和しながら上って行きました。三十秒もするとお嬢さんが降りてきました、裾はヒラヒラと海辺の波のようでした。踊り場で立ち止まり、われらがハルバディアーをじっと見つめました。

 「『あら、あなた!』とお嬢さん言いました、その微笑み見て、ワタシ、レモンシャーベット思い出しました。そのときワタシ上のシュロスで給仕してました、それからここに降りてきてドアの近くで、ビネガーと唐辛子をタバスコの空瓶に詰めてました、それでみんな聞こえたんです。

「『あら、これ(、、、、、)ですよ、』とパーシヴァル閣下は言いました、まったく動かずに。『土地の景観の一部なんですから。鎖帷子、ヘルメット、斧槍はまっすぐですか?

 「『これどういうこと?』彼女言いました。『悪ふざけ?「グリドル・ケイク」や「ラム・クラブ」でやっているような? 何やってんだか分かんない。聞いてたわ、なんとなく、あなたが出てったってことは。三ヶ月、わたし――わたしたちはあなたを見てもいないし、連絡もないし。』

 「『いまはハルバディアーで食ってるんだ、』と銅像は言いました。『仕事なのさ、君に仕事の意味は分からないだろうけど。』

 「『あなた――お金がなくなったの?』彼女は聞きました。

 「パーシヴァル閣下はちょっと考えてました。

 「『貧しいよ、』と言いました。『路上にいる極貧のサンドウィッチマンよりも――もし自分で稼がなければね。』

 「『あなた、これを仕事だと思ってるの?』彼女は言いました。『男の人は、手とか頭を使って仕事をするものだと思ってた。ペテンじみた真似なんかせずに。』

 「『ハルバディアーは使命なんだ。』と彼は言いました。『太古の昔まで遡る、名誉ある職務だ。ときには、』と彼は続けました。『鎧兜の門番たちが城を守ってきたんだ、頭に羽根をつけた騎士たちが上の宴会場で踊りをお楽しみのときもね。』

 「『恥ずかしいと思ってないのね、』と彼女言いました。『そんな変な格好をして。でもどうしてなの、あなたって男らしいと思っていたのに、水を汲み上げたり木を切り倒したりするんじゃなくて、こんなみっともない仮装をして、人前で恥を晒すなんて。』

 「パーシヴァル閣下はなんだか鎧をガタガタさせながら言いました。『ヘレン、この件については判定をちょっと待ってくれないか。君には分からないだろうが、』と彼は言いました。『僕はこの仕事をもうちょっと続けなきゃならないんだ。』

 「『あなた好きなんだ、道化師(ハーレクィン)でいるのが――あ、ハルバディアーでしたっけ?』彼女言いました。

 「『いますぐには、仕事を放り出さないだろうね、』と彼ニヤリとして言いました。『英国宮廷の大臣に任命されたとしても。』

 「すると四十馬力のお嬢さんの目が光りました、ダイヤモンドくらいギラッと。

 「『それじゃあ、』と彼女が言いました。『召使らしく何でもしてみせなさいよ、今宵は。』それで彼女、ボスのデスクまでスイーッと行って微笑みを投げつけました、ボスの鼻から眼鏡が落ちました。

 「『あなたのラインシュロスは、』と彼女は言いました。『夢みたいにきれい。ヨーロッパをちょっと切り取ってニューヨークに持ってきたようだわ。上では素敵な食事が出来そう。でももしわたしたちのお願いをひとつだけ聞いてくれたら、このイリュージョンは完璧になるわ――つまりね、テーブルの給仕を、あのハルバディアーにやってほしいの。』

 「『ダンケ、そぉれはよろしゅうございますね。んではオルケストラに「ラインの守り」を演奏させましょう、ヤー、ヤー、夜ずずっと。』そしてハルバディアーのところまで行くと、二階に上がってはりきってあのしゃれ者たちのテーブルにつけと言ったんです。

 「『さあやるぞ、』とパーシヴァル様は言うと、ヘルメットを脱いで斧槍に引っかけ、角に立てかけました。お嬢さんは上に上がって席に着きました。にっこりと笑ってはいましたが顎は強ばっていました。『これから本物のハルバディアーに給仕をしていただくのよ、』彼女は言います。『ご自分のお仕事に誇りを持たれている方に。とっても素敵じゃなくって?』

 「『素晴らしいな、』しゃれ者の若い兄ちゃん言いました。『ウェイターの方がいいな、』と太ったジイさん言いました。『安っぽい博物館から来たんじゃなけりゃいいけど、』とおばさん言いました――『コスチュームの中はばい菌だらけかもしれないし。』

 「テーブルに向かう前、パーシヴァル様はワタシの腕を掴みました。『一八番、』彼は言います。『この仕事はミスなくやり遂げなきゃならない。ちゃんと指示してくれ、じゃないとこの斧槍でお前をズタズタにするぞ。』それから、テーブルまで上がっていきました、鎖帷子を着て、ナプキンを腕に掛けて、注文を待ちました。

 「『あれ、ディアリングじゃないか!』としゃれ者の若い兄ちゃん言いました。『おい、お前、何を――』

 「『申し訳ありません、』ハルバディアーは遮りました。『仕事中ですので。』

 「ジイさんは彼をぎょろりと見やりました、ボストンテリアみたいに。『そうか、ディアリング、』と彼言います、『まだ働いているんだな。』

 「『はい』とパーシヴァル様は言いました。穏やかに紳士的に、結構ワタシがやるような感じで。『もうすぐ三ヶ月です、今のところ。』 『解雇されることもなく?』とジイさんは言います。『一度もありません、』と彼言いました、『でも何度か仕事を変えなければなりませんでした。』

 「『ウェイター、』とお嬢さん注文しました。きっぱり、ぴしゃりと、『ナプキンもういちまい。』彼持っていきました、うやうやしく。

 「言っちゃなんですが、あれほどの悪魔が女性の中で渦巻いているのは見たことありませんでした。赤いまん丸が両ほっぺに浮かんで、両眼はまるでヤマネコみたいでした、動物園で見たんですけど。足をずっと床に踏み鳴らして。

 「『ウェイター、』と彼女呼びつけます。『綺麗なお水をちょうだい、氷はなし。足置きをちょうだい。この空の塩入れは下げて。』彼をせわしなく働かせ続けました。まったくもう次々と、ハルバディアーに仕事を与えていました。

 シュロスにはその時間、お客さんはほんの少ししかいませんでしたから、それでワタシ、ドアのところでうろうろして、パーシヴァル閣下のことを助けられるようにしていました。

 「オリーブとセロリの和え物、それからカキは問題ありませんでした。簡単ですから。それからコンソメスープが昇降機に乗せられて上がってきました、大きな銀の鉢にたっぷり入れられて。サイドテーブルからよそわず、彼、器を両手で持ち上げて、ダイニングテーブルへ運びはじめました。と、もうあと一歩というところで、鉢を床にガシャンと落としてしまいました。お嬢さんの素敵な絹のドレスの裾の方は、ビショビショになりました。

 「『バカ――ほんと使えない、』お嬢さんは彼を見ながら言いました。『隅っこで斧槍抱えて立ってるのが、あなたには一番向いているようね。』

 「『失礼をお許しください、お嬢様、』彼言います。『火よりちょっとばかり熱かったもので。致し方なく。』

 「ジイさんは手帳を取り出してめくりました。『四月二五日だ、ディアリング、』彼言いました。『承知しております、』とパーシヴァル閣下言いました。『そして十二時まではあと十分、』とジイさん言いました。『いいか! お前はまだ勝っちゃいない。』拳骨でテーブルをバンバン叩きながら、大声でワタシを呼びつけました。『ウェイター、支配人を呼びたまえ、直ちに――大至急ここへ来るように言え。』呼びに行くと、ブロックマンの旦那、シュロスを駆け上がっていきました。

 「『この男を直ちにクビにしてもらおう、』ジイさん怒鳴りました。『奴がしでかしたことを見ろ。娘のドレスを台無しにした。六百ドルはしたはずだ。この出来損ないの無礼者を解雇してくれ、じゃなきゃ訴えて弁償してもらうぞ。』

 「『アー、それは困ります。』とボス言いました。『ろく、ひゃく、ドル、多い。思うに、イッヒがするべきは――』

 「『お待ち下さい、ブロックマン様、』とパーシヴァル様言います、落ち着いて微笑んで。でもブリキのスーツの下で心は高ぶっていました。ワタシ、それ分かりました。それからひとしきりカレがぶった素晴らしく立派な演説、ワタシあんなの聞いたのはじめてでした。ぜんぶ再現はできません、もちろん。金持ちたちを素敵に批判したんです、皮肉たっぷりに、自動車やオペラのボックス席やダイヤモンドを上げ連ねて、それから労働階級の人々のこと、彼らの食い物のこと、彼らの長時間労働――そんな様な話をつらつらと――支離滅裂でしたけど、もちろん。『飽くことのなき金持ちたちは、』と彼は言いました、『贅沢しているだけでは満足できず、貧しくみすぼらしい者たちのところへ足繁く出かけていっては、彼らの不遇や不幸を楽しむんです。そこにいる男女も仲間だって言うのに。そしてここでもそうです、ブロックマン様、』と彼は言いました。『この美しいラインシュロス、壮大に雄弁に再現された旧世界の歴史と建築の場でも彼らはぶち壊すのです、調和のとれた絵のような美しさを、思い上がりも甚だしく、城のハルバディアーにテーブルの給仕をしろなどと言って。私は忠実に、誠実に、』と彼は言います、『ハルバディアーの務めを果たして来ました。給仕のことは何も分かりません。気まぐれで甘ったれた特権階級の出来心で、特別に給仕の任務をさせられました。非難されなくてはいけないんですか――生活の糧を奪われなくてはならないのですか、』と彼は続けます、『さっきのアクシデントも、元はと言えば、彼らの図々しさや傲慢さのせいだというのに? そしてなにより私の心を傷つけるのは、』とパーシヴァル様言います、『この華麗なラインシュロスに対して為された冒涜行為です――城からハルバディアーを奪い、テーブルの給仕に就かせるなんて。』

 「ワタシですらこれはたわ言だと分かりましたが、ボスは心掴まれました。

 「『オー・マイン・ゴット、』と彼は言います。『キミ言うことホントだ。ナイン、ナイン、ハルバディアーの務め、スープ運ぶことじゃない。彼、クビにしない。他のウェイター使ってもいい、マイン・ハルバディアーは戻って斧槍持って立たせる。しかし、ジェントルマン、』と言って、ジイさんを指差しました。『どうぞご自由にドレッスのこと訴えていい。六百ドル、六千ドル、かかって来い。』そしてボスは息巻いて下へ降りていきます。ブロックマンさん、さすがドイツ人。

 「ちょうどそのとき時計が十二時を打ち、ジイさんは大きな声で笑い始めました。『お前の勝ちだ、ディーリング』彼は言います。『説明いたしましょうかね、みなさん、』彼続けます。『少し前に、ディーリング君にあるものをせがまれましてね、私はあげたくなかった。』(ワタシお嬢さんのこと見ましたら、顔が真っ赤っかでビートのピクルスみたいでした。)『それで出した条件が、』とジイさん言いました。『三ヶ月間自活をして、ヘマをしてクビにならなかったら、望みのものをやろう、と。どうやらその期限は今晩十二時だったようです。あとちょっとでこっちが仕留めたのに、ディーリング、あのスープの時にな、』とジイさん言い、立ち上がってパーシヴァル様の手を握りました。

 ハルバディアーはぎゃっと叫んで、三フィートも飛び跳ねました。

 「『この手見てくれ、』彼言って、両手あげました。あんな手は見られませんよ、石灰岩の石切り場で働いているひとのほかには。

 「『ほう、これはこれは!』頬ひげのジイさん言いました。『なにをやってそんなになった?』

 「『ああ、』とパーシヴァル様言いました、『大したことじゃありませんよ、石炭を運んだり岩を掘ったり、そのうち手が使い物にならなくなって。それでつるはしも綱も握れなくなったから、ハルバディアーをして手を休ませていました。熱いスープでいっぱいの大鉢を持たされては、手もろくに静養ができません。』

 「あのお嬢さんが賭かっているんなら、ワタシも乗ってましたね。あんなふうにすぐカッとなる子は、逆の方向にもコロッと変わるものです、ワタシの経験では。彼女ぐるっとテーブルの周りをまわると、まるで竜巻ですよ、彼の両手を握りました。『かわいそうな手――愛しい手、』そう謳い上げると、涙を落としながら胸に引き寄せます。やあ、お客さん、ラインシュロスが背景ですからね、まるでお芝居でしたよ。そして、ハルバディアーはテーブルのお嬢さんの傍に腰を下ろして、あとのお食事はワタシ給仕しました。だいたいこんなところで、あとはみなさんお帰りの時に、彼、金物の装備一式を脱いで、一緒に出て行きました。」

 私は話が脱線するのは嫌いなのである。だから言った、

 「だがまだ話してくれてないじゃないか、一八番、どうしてシガー・ケースが壊れたかを。」

 「ああ、それはですね、昨日の晩です、」と一八番は言った。「パーシヴァル様とお嬢さん、クリーム色のお車でやって来て、ラインシュロスでお食事されました。『いつものテーブルね、ビリー』とお嬢さん言って上に向かいました。ワタシ給仕しました。いまは新しいハルバディアーがいるんです、がに股で顔が羊みたいな奴。ふたり帰るとき、パーシヴァル様が彼に十ドル札渡したんです。新入りハルバディアー、斧槍落として、それがシガー・ケースを直撃しました。そういうことです。」

 



[1] チェコ(ボヘミア)の都市ピルゼン発祥のビール。

[2]1848年革命以後、ドイツ系移民が多く流入したシンシナティでは、「オーバー・ザ・ライン(Over the Rhine)」と呼ばれる地域が形成された。

[3] 当時の仮面舞踏会では以下のような仮装がされた。

https://blog.mcny.org/2013/12/17/festivities-of-the-gilded-age-season/

[4] アーサー王伝説に登場する騎士の一人。

[5] 元々は刻み煙草の銘柄であり、当時は紙巻き煙草として発売されていた。「カポラル」はナポレオンのあだ名。