戸山翻訳農場

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おそろしい夜の街                     訳:岡野桂

 「ここ数日、ふいに暑さが戻ってきたが、ブラウスのレースから人間の本性が透けて見えるようなことばかりあったよ」と、特急荷馬車八六○六号の御者をしている友人、カーニーが話しはじめた。

「公園管理局と警察と森林管理局のお偉方が集まって、公園で寝てもいいってことにしたんだ、気象局が、最低限生きられる温度になったと言うまでさ。そしたら、野外生活推進案が提出されて、農務長官とアンソニー・コムストック氏、ニュージャージー州サウスオレンジの農村改良藪蚊撲滅委員会がオーケーしたわけだ。

「公布され、特別に市民公園が市民に解放されると、近隣住民たちのエクソダスがセントラルパークへ向かっておきた。日没から十分で、アイルランドのジャガイモ飢饉とキシニョフ虐殺の舞台稽古かと思えるほどになった。みなが、一家、一団、一派、一門、一味郎等、一族総出で、四方八方から芝生で一眠りしようと一堂に会したんだ。石油ストーブを持たない人たちは毛布をどっさりもって、野宿の肌寒さや寝心地の悪さに悩ませられないようにしていた。公園の木で火を熾したり、馬車道で身を寄せ合ったり、地面が柔らかいとこの草の下に潜り込んだりしてさ、セントラルパークだけでも、奇跡の給食とおなじ五千人が、夜気を相手に善戦していたね。

「知ってのとおり、俺が住んでいるエレガントな家具付きアパートのベエルシャバフラットは、ニューヨークセントラル鉄道の高架沿いにある。

「うちのアパートにも命令がきたよ、全員外に出て公園で寝るべしって、都市計画有識者会議とマーフィー造園土木社の合同諮問委員会からさ、そのときには、あちこちから火の手があがり、退去命令が出された現場みたいだった。

 借家人たちは荷造りをはじめ、羽毛の寝具やゴム長靴、ニンニクの束に、湯たんぽ、小型のカヌー、石炭を運ぶバケツなんかを持ちだした、快適にすごすためにさ。歩道は、三月にオヤマ大将率いる日本軍を前にしたロシア軍陣営みたいなありさまだった。嘆きや悲しみの声が、上は最上階のダニー・ゲーカンの部屋から、下は一階のゴールドシュタインアプスキーの部屋から聞こえてきた」

「『どうして』ダニーは青い厚手の靴下姿で降りてくるなり、管理人に怒鳴った。『快適なアパートを追い出されて、汚ねえ草の上で野ウサギみたいに寝なきゃならねえんだ? いかにもジェロームのやり口じゃねえか、こんなふうに、くだらねえことを大騒ぎに——

「『静かに!』レーガンの巡査がそう言って、警棒で歩道を打ち鳴らした。『ジェロームじゃない。こいつは警察のお偉いがたの命令だ。てめら全員を外にだして、公園まで歩かせろってな』

「いいかい、俺らは、平和で幸せに、みんなひとつベエル・シエバフラットで暮らしていたんだぜ。オダウド家、シュタイノウィッツ家、キャラハン家、コーウェン家、シュピッツネリー家、マクマナス家、シュピーゲルメイヤー家、ジョーンズ家。いろんな国のやつがみんな大家族のように暮らしていた。暑い夜が続くときには、子どもたちを並ばせてフラットの玄関から角のケリーの店まで、量り売りで買ったビールを次から次へとリレーさせるから、わざわざ買いに走っていくこともなかった。服なんて法律で決まっちゃいないから脱いじまって、みんな、窓に腰かけると、ブリキ缶に注いだビールをもって、足を外にブラブラと垂らしてさ、ローゼンシュタインの娘たちが六階の非常階段で歌をうたって、パッツィ・ロークのフルートが八階で鳴りひびいて、女たちが窓から身を乗りだし、お互いのお国の単語で呼びあって、ときおり、デピュウ議員のセントラル鉄道のほうからそよ風が吹き込んでくる——まったくベエルシャバフラットはサマーリゾードだよ、ここと比べたら、かのキャッツキル山地だって地べたにあいた穴蔵に見えるね。ビールで腹はパンパン、足は外でブラブラ、女房は炭のかまどでポークチョップを焼いて、子どもらは綿のスリップで道端の手回しオルガン弾きのとこで踊ってる、それに家賃の支払いは週に一度——暑い夜にこれ以上なにを望む? それなのに警察が指図してきて、心地よい家を出て公園で寝ろっていうったく、ロシア人の勅令そっくりだ次の選挙のときもまた、こんなのを聞かされるんだろうかね。

「それで、レーガン巡査は俺たちを残らず公園に向かわせ、近くの門からなかにぶちこんだ。木々の下は暗くて、子どもたちはみんな泣きわめいて家に帰りたがった。

「『今夜はここらの森か目の届くところにいろ』とレーガン巡査は言った。『罰金とって牢屋にぶちこむぞ、公園局長と森林局長の侮辱罪でな、いやだっちゅう奴はな。俺の担当は三十エイカー、こっからエジプトの記念塔まであるんだかんな、言っとくが、俺を手こずらせないほうがいいぜ。草の上で寝ることは、お偉いさんたちがぜんぶお決めになったこった。朝がくりゃあ、外に出ていいが、夜にゃあ戻ってこなきゃなんねえよ。命令じゃあ保釈金についてはなにもいっちゃいねえが、確かめてやるよ、必要ならな。きっと門に保釈金の業者がいんだろうぜ』

「明かりは自動車用の道路沿いにあるやつだけで、俺たちべエルシャバフラットの住人一七九名はざわつく森のなかで、できるだけ快適に過ごせるように準備した。毛布と薪木をもってきたのは恵まれた連中だ。火をおこして、毛布をかぶって、横になってたよ、悪態をつきながら、草のところでさ。なにも見えない、なにも飲めない、なにもできない。暗闇のなかで、仲間か敵か判別するには、鼻を触ってみるしかなかった。俺の持ちものは、去年の冬のコート、歯ブラシ、それにキニーネの錠剤を数錠、それと部屋のベッドからはいできた赤いキルトだったな。夜のあいだ三回、誰かが俺のキルトに転がり込んできて、喉仏に膝蹴りしてきた。そんで俺も三回、それが誰なのか確かめるために顔を触り、そんで三回立ち上がって侵入者を下の砂利道に蹴り落としてやった。それから、ケリーんとこのウィスキーの臭いをプンプンさせた奴がすり寄ってきた。触ってみると、そいつの鼻がしかるべき角度を向いていたから『さては、おまえ、パッチィだな?』俺は言った。そいつは『俺だよ、カーニー、どれくらい続くんだろうな?』と言った。

「『俺は天気予報士じゃないぜ』俺は言った。『でも、反タマニー派が強力な候補者を秋の選挙に立てたら、一度か二度くらいは、自宅のベッドで寝られるかもな、投票所に並ばれるまえにさ』

「『通気孔めがけてフルートを吹いたりさ』パッツイ・ロークは言った。『窓に座って汗をかきかき、通過列車の愉快な音を聞いたり、レバーと玉ねぎの匂いかいだり、あとは、新しくおきた殺人の記事を料理の煙のなかで読んだり、っていうだけで満足しているのにさ』あいつは続けた。『どうして、こんなふうに草むらに追い立てられるんだ、言うまでもなく、足の生えたやつがズボンのなかを這い上がってくる、でっかいシギは突いてくる、あくまで蚊だと言い張っているけどさ。こんなのいったい何になるっていうのさ、カーニー、しかも、部屋の家賃はおなじだけかかるんだろ?』

「『毎年恒例、市民のための無料野外ナイトパーティーなんだ』俺は言った。『提供は警察、ヘティ・グリーン、製薬トラスト。暑い季節になると、一週間ほど連中が大きな公園で開催するだろ。こいつは、ノース・ビーチまでフィッシュフライパーティーに連れていく価値のない奴らにも手を伸ばしてやろうって腹さ』

「『地面じゃ寝れないよ』パッチィは言った。『どんな恩恵があろうとさ。花粉症でリュウマチもちだし、耳はありんこでいっぱいだ』

「そんなこんなで夜は更けてゆき、フラットの元住人たちは、闇の中をうめきよろめき、森のなかで息をつける場所をさがした。子どもたちがなきわめいてさむがるので、フラットの管理人が熱いお茶をいれてやり、火をたやさぬように、〈マクゴーン・タバーン〉や〈セントラルパーク・カジノ〉の看板をくべた。暗闇のなか、家族ごとに芝生で眠ろうとしたが、よほど幸運でなけりゃ、同じ階や、同じ宗教の奴の隣じゃ寝られなかった。ときにマーフィー家の一人が、思いがけず、ローゼンシュタイン家の一人がいる芝生へ転がっていったり、コーエン家の一人がオーグレイディ家が群がるなかへ這って入ろうとしたり、さらには鼻の触りあいがあって、誰かが転げ落とされて車道で過ごすはめになった。女同士で絡んだ髪を引っぱりあったり、みながそばで吠える子どもを手触りだけでひっぱたいたりしたが、どんな生まれだとか、だれのものだとか関係なくね。暗闇じゃ、住み分けなんてしている場合じゃないんだ、陽があたるベエルシャバ・フラットじゃ盛んにやってたけどさ。ミセス・ラファティは、イタリア系のやつらが歩いたアスファルトも嫌がるほどなのに、朝、目が覚めたら両足をアントニオ・スピッツネリに抱きしめられていた。アイルランドのマイク・オダウドはユダヤの行商人が近づくなり、下の階に突き返していたもんだが、アイザックシュタインじいさんの頰ひげを、自分の首からほどかなきゃならなくなっていたし、朝日がのぼると、まわりの若い奴らを起こさなければならなかった。あちらこちらで友だちができたし、異文化を大目に見られるようになっていた。五組が結婚するって、次の朝フラットで報告された。

「真夜中ぐらいか、俺は起きあがって、夜露で濡れた髪をしぼると、車道の方へ行き、腰をおろした。公園のこちら側からは、通りや家の明かりが見えるんだ。どんなに幸せだろうなって思ったよ、ビールを飲みまくり、自分ちの窓辺でパイプをふかして、あたりまえのように気持ちよく涼んでいられたらさ」

「ちょうどそのとき、自動車が目の前に停まり、品のよい顔立ちで、きちんとした身なりの男が降りてきた。

「『ちょっと君』彼は言った。『どういうわけで、あの連中みな公園の芝生で寝ているんだい? 違法だと思うんだがね』

「『命令なんです』俺は言った。『警察がだして、芝刈り協会が承認したんです、車体の後ろに身元証明をぶらさげてない奴らは全員、別命があるまで、公園に待機しなくちゃならないんです。幸い、いい天気が続いているところに、今年は命令がだされたから、死亡者数は、レイクのまわりと車道沿いはともかく、例年並みだろうね』

「『丘のあたりにいる連中は?』男はたずねた。

「『ああ』俺は言った。『ほかでもない、ベルシェバ・フラットの住人たちですよ最高の家です、誰にとってもあそこは、特に暑い夜にはね。ああ、早く夜が明けますように!』

「『みな、夜ごとここに来て』彼は言った。『味わうわけだ、澄んだ空気や、花や木の香りを。そうすることで』彼は言った。『毎晩逃れていると、焼けるように熱いレンガと石の家から』

「『それに木』俺は言ってやった。『石灰岩と漆喰と鉄の』

「『その件は早急になんとかしなくてはね』男は言って、手帳を取り出した。

「『あなたは公園管理局長どの?』おれはきいた。

「『私はベルシャバフラットのオーナーだよ』彼は言った。『なんとありがたきことか、草木が特別な恩恵を住民に与えてくれているなんて。家賃を一五パーセント値上しげよう。明日からね。おやすみ』彼は言った