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A Supposedly Comprehensive Review of Infinite Jest I’ll Never Write Again
(PDF版)
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さて、どこから説明しよう。本書 Infinite Jest の著者 David Foster Wallace (1962-2008) は、たぶん、アメリカ文学史で最後のアイドルだ。本書を読んでいた間はネタバレが怖くて極力控えていたが、本稿の執筆に際し、ネットで検索すると、The New York Times や The Guardian をはじめとした主要メディアの彼に関する記事はほんの序の口で、David Foster Wallace Wiki: Infinite Jest[1] や The Howling Fantods[2] といったファンサイトはたいへん充実しているし、本書についての掲示板での議論は極めて活発、ブログエントリも無数にある。1000ページを超える大著にもかかわらず、発行部数は96年の刊行から20年後の2016年の時点で100万部を超えている[3]。彼や本書に向けられる熱狂ぶりは、J. K. Rowling (1965-) やハリポタの純文学版といった感じだ[4]。William S. Burroughs (1914-1997) が晩年、ナイキの CM に出たりしていたが、当時はこんな感じだったのかしら。
しかし、彼の、特にフィクションの作風は大衆的とは言えない。DFW は、もしかすると、アメリカ文学史最後のアヴァンギャルドかもしれない。天性のユーモアの持ち主だが、文体も物語も複雑な小説を書き、超難解で知られる。代表作 Infinite Jest こそがこのイメージを決定付けたと言っても過言でない。1968年生まれの彼は “Generation X” ―鍵っ子で、青春時代は MTV を見て過ごし、シニカルで、シラケた世代[5]―だ。文学史的には、いわゆるポストモダン文学の John Barth (1930-)、Don DeLillo (1936-)、Thomas Pynchon (1937-) への、また同時に John Irving (1942-) への “Generation X” からの返答と称されるらしい[6]。この辺りは、最後の方で触れられればと思う。
Wallace が難解とされる理由の1つに異常なほど長い文を多用する点が挙げられる。しかし、大学で教鞭を取っていた時は学生たちの間では文法に厳しいことで知られ、“Grammar Nazi” と自称するくらいだから[7]、彼特有の長文においては、言葉の使い方は精密で、文意を見失っても丁寧に追い直せば、理解できる。むしろ、日本人の読者にとって難しいのは、アメリカ文化に強く依存した idiomatic な表現だと思う。ヒップホップに関する共著もあるが[8]、MTV 世代の彼は、話し言葉の天才でもある。お勉強した英語ではとらえきれないこともあった。そこに学術用語やら造語やら頭字語やらが加わる。大衆的な語彙や頭でっかちなそれが混ざり合うスタイルがかっこいい[9]。YouTube に上がっているトークイベントで、子供の時以来、詩は書いていない、と発言しているが、これもちょっと重要な気がする[10]。(組みのままだが)論文のように行間が狭く、多義的な表現はしない。後述するが、詩を書くには、他者からどう見られるかを気にしすぎる人なのだと思う。
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Infinite Jest は、これでもかというほどさまざまなスタイルで紡がれる。Michiko Kakutani (1955-) が NYT の書評に書いた通り[11]、DFW はあらゆることができる技巧的に完璧な作家だし、また、彼女の意見に反し、私見では Infinite Jest は完璧な小説だった。ペーパーバック版に入っている Dave Eggers (1970-) の解説によれば、執筆期間は3年らしく、彼が30歳そこそこの時にこの作品を書き始めたその瞬間を想像すると、ちょっとゾッとする[12]。しかも、たぶん手書きだ[13]。
同解説中、Eggers がある大学生から受けた質問を紹介している―「Infinite Jest を読むことは、義務なのでしょうか?」アメリカの大学生にとっては本書を読み通すことがある種の知的チャレンジになっているらしく、中でも文学を志す者にとっては、プレッシャーでさえあるのかもしれない。Eggers が答えて曰く「天才に関心があるなら」。Eggers によれば、Wallace は普通の奴で、イリノイ州の(文字通り)Normal という町にそう遠くない土地で育ち、飼っている犬に服を着せたりしなかったが、人間の頭脳ができることの限界を更新した作家でもあった。IJ は普通の 奴が書いた、類まれなる小説なのだ。本書を読み終えた今は、なんとなく分かる気がする。
以下、本書の内容に入ってゆく。紙幅に限りはないから、物語も少し詳細に紹介しようと思う。先に書いておくが、ネタバレする。今まさに読んでいる人、これから読もうと思っている人は、閉じていただきたい。先に紹介したファンサイト David Foster Wallace Wiki: Infinite Jest に、読者たちが共同で1ページ1ページ、ネタバレなしの注を振っているコーナー “Infinite Jest Page by Page” がある。辛くなったら、ぜひ。また、本稿執筆に際し、できるだけ調べ直したが、誤解しているところがたくさんあるはずだ。前もって、ご了承いただきたい。
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さて、Infinite Jest の舞台は(1996年の出版時点で)近未来の主にアメリカ。アメリカ、カナダ、メキシコが Organization of North American Nations (O.N.A.N.)[14] という国際機関を形成し、アメリカの東北部一帯がカナダに形式上「譲渡」されている。その一帯は “Great Concavity” と呼ばれる巨大なゴミ捨て場になっており、日々、アメリカのゴミが射出機で射ち込まれ、人が住めないほど汚染が進んでいる。譲渡を認めないカナダ人たちは、この地域を “Great Convexity” と呼ぶ。“Concavity” と “Convexity” はそれぞれ凹と凸の意味で、どちらの領土とするかで地図上の境界線のカーブが変わるため、呼称が揺れている。また、毎年、O.N.A.N. の年号の命名権が競りに出され、落札した企業の製品名等が付される。多くのシーンは The Year of the Depend Adult Undergarment[15] に展開する。David Foster Wallace Wiki: Infinite Jest によれば、諸説あるが、西暦2009年が有力らしいので、今読めば、IJ は近未来ではなく、並行世界の過去の物語である。この年号制度が開始する前後はしばしば Pre-Subsidized Time / Subsidized Time と区別される。直訳すれば、補助金年以前/補助金年という意味で、計9年にわたる Subsidized Time の年号リストも途中で登場する[16]。もっとミクロな、人々の暮らしに関わるレベルでの重要な設定は、テレビがもう存在せず、代わりに “Teleputer” (TP) と呼ばれるコンピューターとビデオデッキが一体になったような機器が普及している点である。InterLace 社というエンターテイメント企業が、今で言うところのインターネットテレビみたいに動画を配信する他、“cartridge” というビデオテープに似た媒体を販売している。皆、暇な時は TP を見て過ごす。そんな時空において、おおざっぱに以下の3つの物語が展開する。
1) ボストンにある全寮制のテニス学校 Enfield Tennis Academy (E.T.A.) を舞台とし、主に Hal Incandenza という Y.D.A.U. 11月時点で17歳の少年に焦点を当てた物語。
2) E.T.A. から坂を下った場所にあるアルコール/ドラッグ依存症者の社会復帰支援施設 Ennet House Drug and Alcohol Recovery House を舞台とし、主に Don Gately という名の、Y.D.A.U. 11月6日時点で間もなく29歳になる住込みスタッフに焦点を当てた物語。
3) 見てしまえば、あまりの面白さに他のことが何もできなくなり、やがて死に至ってしまう Infinite Jest と題された cartridge を巡る、ケベック州独立主義で、反 O.N.A.N. の組織 Assassins des Fauteuils Rollents (A.F.R.)[17] と、アメリカの政府機関 United States Office of Unspecified Services (U.S.O.U.S.) の攻防、特にそれぞれのグループの構成員である Rémy Marathe と Hugh Steeply のやりとりに焦点を当てた物語。
順番にそれぞれの物語を追ってゆこう。ただし、Infinite Jest は物語が最重要の小説ではない。むしろ、本筋に関係のない、無数の挿話の集積こそが本書の基礎をなしていることを強く付言しておく。
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まずは、Enfield Tennis Academy での物語だ。E.T.A. の創始者は Hal の父親 James O. Incandenza[18] 。彼は生前、学校経営者であっただけでなく、特殊なレンズや鏡の開発者であり、何より前衛的な映像作家で、実験的な作品を無数に残した。本書には―もちろん作品の一部として―膨大な注が付されているが[19]、10ページ近くを割いて JOI の作品リストが収録されている (pp. 985-993)。読み飛ばしたくなるが、それをやってしまうと、Infinite Jest が JOI の遺作のタイトルであるという作中で(たぶん)最初の記述や、何度もとん挫し、結局、完成を見たのかどうか研究者間でも意見が割れているという、わりと大切な点を見逃すことになる。生前、と書いたのは、アルコール依存症だった JOI が電子レンジのふたに穴をあけ、そこに頭をつっこんで爆死するという、壮絶すぎて少しユーモラスな自殺をしているからで、作中では主に過去の人として語られる[20]。Hal を含む息子たちからは “Himself” と呼ばれている。学校経営は JOI の生前からそれに関わっていた、人を丸め込むことに長けた義理の兄弟で学者の Charles Tavis が引き継ぐ。C.T. は E.T.A. の学生たちのものまねのネタだ。
C.T. とは血縁がない、或いは腹違い(あえて、ぼやかされている)の兄妹 Avril Incandenza が JOI の妻、すなわち Hal の母親である。ケベック出身の文法学者で、E.T.A. の教務部長を務め、英語を教えている[21]。職場でも家庭でも完璧に自らの役割をこなすが、その完璧さは強迫神経症的な不安に裏打ちされている。潔癖症で、広場恐怖症。不倫を繰り返しており、相手の中には E.T.A. 最強の選手で、同じくカナダ出身の John Wayne も含まれる。後述する Incandenza ファミリーの次男 Mario も、もしかすると C.T. との子かもしれない。文法学者としては「規範文法」の立場を採り、「正しい英語」があると考える。“Militant Grammarians of Massachusetts”(マサチューセッツ武闘派文法学者の会)の創設メンバーで、オレンジ味の炭酸飲料 Crush が “CRUSH: WITH A TASTE THAT’S ALL IT’S OWN”(クラッシュ―他にはない味)と広告を打った際は、“ITS” ではなく “IT’S” を用いるのは誤りであるとし、かなり暴力的な結末を迎える集会を2つ組織。A.F.R. とのつながりもほのめかされる。子供たちからは “Moms” と呼ばれる。
JOI と Avril の間には3人の息子がおり、Hal はその末っ子だ。E.T.A. では Wayne に次いで強く、プロ―しばしば大文字の S と共に “The Show” と表現される―で活躍することが期待されている。プレースタイルは “touch artist”(タッチの芸術家)で “thinker”(思想家/頭脳派)で派手さはないが、先の先を読んで試合を運び、気づくと相手はへとへとになるまで振り回されている。Oxford English Dictionary を隅から隅まで暗記しており、シニカルで、知的で、饒舌。Hal は JOI の自殺の発見者でもある。腹ペコで、なんていい匂いがするんだろうと思いながら、キッチンに入ってゆくと、爆死した父を見つけることになる。本書は冒頭が時間軸としては最も未来という構造を取っており、Y.D.A.U. の翌年、The Year of Glad[22] に、Hal がアリゾナ大学入学のための面接を受けている場面だ。役職付の教員たちや C.T. が話す中、Hal はずっと沈黙している。しかし、E.T.A. での良すぎる成績に嫌疑がかけられ、同伴者たちが退出させられて、面接の場で一人になると、彼は自分がいかに博学で人間的な存在か滔々とぶちまけだす―ただし、実際はただ獣のように奇声を上げただけ。勢いよく捲し立てていると本人のみが錯覚しているのだ。やがて、Hal は病院に運ばれることになる。タイトルとも深くかかわっているので、後述するが、彼の内と外が完全に乖離してしまっている、そういう描写だ[23]。
Hal の物語はこの時点からいったん1年ほど過去に戻り、展開してゆく。Y.D.A.U. 11月時点で、彼はすでに1年以上、毎日 E.T.A. の地下で Bob Hope[24] を吸っている。ある日、Eschaton と呼ばれる、コートを世界地図に、ボールを核弾頭に見立て、TP で爆風圏や死亡者数等の複雑な計算をしつつ、ロブを打ち合う極めて知的な核戦争ゲームが大乱闘に発展する[25]。E.T.A. の運営サイドには Hal の友人で、数学の天才、学内のドラッグ・ディーラーで、さらには Avril と Wayne の不倫現場の目撃者でもある学生 Michael Pemulis[26] を退学させたいという狙いがあり、Pemulis や Hal 他、現場にいた年長の学生たちの責任が追及され、尿検査が実施されることになる。
1ヶ月の猶予をもらい、Hal はマリファナを止める。が、心身に異常が現れだす。激しい頭痛、悪夢、止まらないよだれ他。この異常がマリファナの離脱症状か、Hal の内にずっと沈潜してきた不安や苦悩によるものなのかは、よく分からない。とにかく、記録的な大雪に見舞われた、E.T.A. の資金集めのためのエキシビジョン・マッチの日、Hal は朝から謎の発作に襲われる。試合直前のロッカールームでトレーナーにテーピングを巻いてもらいながら、いつもと部屋の様子が違わないか、と止めどなく話している―これが Hal の描かれる最後の場面だ。冒頭のシーンで、病院に運ばれる最中、前に搬送されたのはちょうど1年前だった、と内省するので、この後、救急車で運ばれることが暗示されている[27]。
他の Incandenza ファミリーも、紹介しておこう。
Incandenza ファミリーの長男 Orin は、プロのアメフトプレーヤーとして成功を収めている。ポジションはパンター。自陣が押し込まれている時に登場してきて、とにかくボールを遠くに蹴るのが仕事だ。もともとは E.T.A. でテニスをしていたが、ぱっとせず、卒業後はスポーツ推薦で大学に進学する。そこで P.G.O.A.T.(Prettiest Girl of All Time/史上最もかわいい女の子)に出会う。Joelle Van Dyne というチアリーダーで、マイナースポーツであるテニスをやっていては落とせるはずもない。Orin はアメフト部のトライアウトを受けるが、うまくいかない。フィールドをとぼとぼと後にし、トンネルの通路にほとんど入りかけていると、背後からいかにも痛そうな音と叫び声が聞こえ、振り返る。現パンターが練習中にひどいタックルを受けて重症の様子で、蹴られたボールがフィールドに転がっている。ディフェンシヴ・ラインのコーチが加害者の選手の顔の真ん前でホイッスルを狂ったように吹く中、Orin はヘッド・コーチからボールを返すよう仕草で指示を受ける。投げて届く距離ではない。わざわざ来た道を戻って持っていくのも大変だ。やむをえず蹴ってみると、皆、空を見上げ、ホイッスルがコーチたちの口元からこぼれる―Orin は天才的パンターだったのだ (pp. 291-292)。Orin は家族と繋がりをうまく結べておらず、Hal としか連絡を取らない。セックス中毒の気があり―Hal の分析では、JOI の死について Avril を責めるように―人妻ばかり相手にしている。これも後述するが、父との関係を構築するため、映画/カートリッジ学を専攻していた Joelle Van Dyne を JOI に紹介する。そして、Joelle Van Dyne は “Madame Psychosis” という名で Infinite Jest も含め、JOI の諸作に出演することになる[28]。
Incandenza ファミリーの次男 Mario は、E.T.A. で学生たちと共に暮らしている。生まれながら障害を持っており、だいたい消火栓くらいの背丈で、頭部が異常に大きく、歩く時は斜めに傾いていて、じっと立つ時はつっかえ棒を胸に取り付け、それを地面に固定する。無痛症でもあり、物語の途中、気づかぬうちにお尻をひどく火傷し、歩くと塗り薬がぬちゃぬちゃ音を立てるようになる。純粋で、やさしく、うそをつかず、なぜかうそをつかれず、大人たちや学生たちに親しまれている[29]。テニスはできないが、JOI の生前から映画製作を手伝っており、Y.D.A.U. 11月現在、頭部にカメラを取り付け、E.T.A. のドキュメンタリーを撮影している。本書のテーマに深く関わる点だが、シニカルで、感情を表に出さない/出せない Hal とは対照的な、センチメントに満ちたキャラクターとして描かれる。例えば、Mario は Madame Psychosis がホストを務める深夜ラジオ “Sixty Minutes More or Less with Madame Psychosis” の熱心なリスナーなのだが、突然、その放送が終了してしまう(MP がコカインで自殺未遂し、Ennet House に入るため)と、寝付けなくなり、ある夜、散歩に出かけ、坂を下る。Ennet House があり、彼はその建物を見上げる。過去に2度、中に招かれて飲み物を飲ませてもらったこともある。Mario は Ennet House が好きだ。騒々しくて、たばこの匂いがして、運営者はやさしく、住人たちは人目をはばからず涙を流し、同居人の誰かが真顔で “God” とつぶやいても気に留めない―言わば、皆、人間的なのだ。Mario の胸中にあるのは、その対極に向かおうとしている Hal のことである。最近、彼の気持ちがよく分からない。昔は言葉を介さずとも、どれだけ離れていても、すべて分かったのに。Mario は Hal を深く愛しており、この変化に戸惑っている。間もなく19歳になろうとしている Mario はずっと成長することがないから、どちらが変わろうとしているかは明らかだ。Ennet House の一室から “60 Min. +/- w/ MP” の録音が漏れ聞こえてくる。Mario にはそれが初期の放送だとすぐに分かる。テープを貸してもらえるだろうか。MP の声を聴いていると、眠たくなって家路につく。「マリオは急に眠たくなり、坂を上って家に帰る自信がない程だった。マダム・サイコシスがかける曲は初回から最終回までまったく同じだったが、彼女不在ではぜんぜん響かないのだった」。切ないシーンで、心がざわざわすると同時に、DFW はこんなスタイルでも書けるのか、と驚かされる (pp. 589-593)。
以上が、E.T.A. を舞台とする物語の大枠である。Incandenza ファミリーの紹介にも紙幅を割いた。彼らの他にも無数のキャラクターが、それぞれ短編として完結するようなエピソードを紡ぎ、あらすじよりも根本的に IJ という小説を支えていることを改めて強調しておきたい[30]。
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さて、次は、Ennet House の物語を追ってみよう。Ennet House はアルコール/ドラッグ依存症者が共同生活を送りながら社会復帰を目指す施設で、住込みスタッフとして働いている Don Gately という男に焦点が当てられる。彼は Demerol[31] というオピオイド鎮痛剤に依存していてY.D.A.U. 11月6日時点で421日間、薬物を断っている熱心な Alcoholics Anonymous のメンバー。生まれつき身体がでかく、頭はほぼ正方形で、高校時代は将来を約束されたアメフト選手だった。しかし、勉強ができずに留年、すでに酒やドラッグはやっていたのだが、生活のバランスを崩してしまい耽溺、やがて burglar(民家に不法侵入する泥棒)となる。彼にはその道の才能もあった。Burglar 時代、押し入った家で、反 O.N.A.N. のケベック独立主義グループ pan-Canadian Resistance のメンバー、M. DuPlessis を意図せず殺してしまう。風邪で鼻が詰まっている M. DuPlessis の口に何も考えずにタオルを押し込んでしまうのだ。Gately とその仲間が退散した後、M. DuPlessis は長い時間をかけて窒息死する。そこで盗んだ、おそらく Infinite Jest のマスターコピーを含む cartridge 群と DMZ ―極めて強い LSD のような架空の薬物[32]―が Antitoi Entertainment というがらくた屋に流れるが、その辺りは後述するとしよう。
ある夜、Ennet House に住むコカイン依存症者 Randy Lenz がトラブルを起こす。Lenz は実は皆に隠れてコカインをやっており、参加を義務付られている AA の帰り道に、ハイになった状態で動物を殺す、という悪い習慣を持っている。最初は野良猫をゴミ袋に詰めて窒息させていたが、やがてナイフで人の家の飼い犬を殺すようになる。その夜、Lenz は A.F.R. とは敵対するケベック独立主義グループ Front de Libération du Québec (F.L.Q.) 本部の飼い犬を殺し、追われることとなる。Ennet House の前でいざこざになっているところに、夜勤の Gately が駆り出される。Gately は執行猶予や裁判を抱えているだけでなく、根がやさしいので、トラブルは極力避けたいのだが、カナダ人たちは銃も携えており、Lenz や他の入居者たちを守るため、暴力を振るうこととなる。大立ち回りの末、Gately は右肩を撃たれ、病院に搬送される。再び殺人を犯してしまったかもしれないが、詳細は語られない。
小説の終盤の多くは、Demerol の投薬を拒否し、手術で切断された右肩の激痛に、病室のベッドの上で、気力だけで耐え続ける Gately の描写に費やされる[33]。AA のメンバーたちがしばしば使う単語 “Abide” が何度も使われる。「耐える」という意味で、痛みがずっと「続き続ける」という事実には耐えられないが、この瞬間、瞬間の痛みだけに集中すれば “Abide” できる― Gately はそう考えて必死にもがく。その様子はさながら聖人のようである。実際、死者とも交感する。JOI が枕元に立つのだ。生前、息子 Hal が自分の内面を表現する言葉や態度を失ってしまうのではないかと心配していたこと、そんな彼を救うために彼が心から没頭できるもの、すなわち Infinite Jest を作ろうとしたこと、さらにはその作品を通し、すまなかった、と伝えようとしていたことなどを告白する。Gately は AA の数ある格言の1つ “Poor Me, Poor Me, Pour Me A Drink”(なさけない、なさけない、酒がない)を思い出す。そんな態度だから、アルコールを止められなかったのだ、と。
Gately は夢ともつかぬ現実と、現実ともつかぬ夢の間を行き来しながら、Burglar 時代の仲間 Gene Fackelmann のことを思い出す。Gately は地元の賭博の胴元 Whitey Sorkin の下で Fackelmann と共に集金係をしていた時期がある。ある賭けで、Sorkin と顧客の間に理解の齟齬が生じ、どちらも自分が負けたと考える。集金を担当していた Fackelmann は客からは掛け金を、Sorkin からは払戻金を預かることになる。Fackelmann はその金に手を付け、Dilaudid というモルヒネから作られる鎮痛剤を買い込み、さばこうとする。しかし、大量の Dilaudid を仕入れた後、横領が間もなく Sorkin にばれることを知る。物理的に逃げなければならない局面だが、依存症者はそこで薬物をやる。彼と同居していた Gately も、誘惑に耐えきれずにやる。二人とも打ちまくる。やがて、追手が入室してきて Fackelmann はオピオイド拮抗薬 Narcan を打たれて素面に戻された上で、めくった瞼を眉に縫い付けられるという拷問を受ける。追及の対象でない Gately はボストン地域の路上では極めて入手が難しい中枢性鎮痛剤 Talwin PX を打たれ、気絶する。目を覚ますと、小雨の降る、寒い、潮が遠くまで引いた浜辺に寝そべっている―これが Gately の本書中最後の描写であり、活発に議論されてきた Infinite Jest のエンディングである。一体、何が起きたのだろう?それでは、殺人 cartridge Infinite Jest を巡る物語に移ろう[34]。
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先にも述べたが、Infinite Jest は JOI が作成した cartridge だ。“Entertainment” とか “samizdat” とも呼ばれる。見てしまった者は瞬時に依存してしまい、やがて死んでしまう。この cartridge を追っているグループの1つがケベック独立主義で反 O.N.A.N. の A.F.R. だ。同様のグループの中でも過激派で、拷問もやるし、殺人もやる。皆、車椅子に乗っているのは、列車が迫りくる線路上に立ち、最後に飛び退いた者が勝ちという根性試しゲームを、子供だった頃にやっていたからである(つまり、皆、一度は列車にはねられている)。IJ を入手し、アメリカにテロをしかけようと目論んでいる。もう1つのグループが、アメリカの政府機関 U.S.O.U.S. だ。テロを未然に防ぐために IJ を探している。終盤では、子供たちに出所不明の cartridge を見ないよう呼びかけるコマーシャルの作成を始めている。A.F.R. の構成員 Rémy Marathe は、生まれながら頭蓋骨のない妻の適切な治療のために U.S.O.U.S. のスパイになるかどうか揺れている。U.S.O.U.S. 側で彼とコンタクトを取っているのは Hugh Steeply という男。女装しており、調査の一環として Steeply に接近された Orin は骨抜きにされる。IJ を巡る二人の会話が、この物語の多くを占める。
しかし、IJ 捜索の顛末は語られぬまま終わる。IJ にはマスターコピーとただのコピーがあり、どちらのグループも複製可能な前者を探している。A.F.R. と U.S.O.U.S. は最終的に Incandenza ファミリー、そして IJ の出演者 Madame Psychosis と接触する。Orin は A.F.R. に捕まり、大きなガラスコップを逆さにしたような容器に収められ、中にゴキブリを放り込まれて IJ の在り処を尋問される。Madame Psychosis は Steeply に IJ についてインタビューされた後、U.S.O.U.S. の施設に収監されるが、脱走して Ennet House に向かう。資金調達のエキシビジョン・マッチの日、カナダからの対戦相手チームを装い、A.F.R. が E.T.A. にやってくる―これ以上は展開しない。
本書はもともとさらに長かったが[35]、もしかすると、未編集バージョンでは詳細が語られていたのかもしれない。自然、“Entertainment” の顛末については、様々な仮説がネット上で議論されている。いくつか紹介しておこう。共通しているのは、マスターコピーが最終的に A.F.R. の手に渡ったということである。The Year of Glad が Subsidized Time の最後の年とされるからだ。そこに至る過程について、仮説の1つは、IJ のマスターコピーは Orin が持っていたとする[36]。Avril の不倫相手や JOI を批判した批評家たちに複製が送られることや、Orin が普段は行かない郵便局から Hal に電話することなどから推論される。小説の冒頭で Orin が生きていることが示唆されるので、マスターコピーは A.F.R. による Orin への尋問の際に、命と引き換えに彼らの手に渡ったと考えられる。
この仮説は、マスターコピーが JOI の墓の中にあった、とする。根拠は、Steeply にインタビューされる Madame Psychosis の応答、及び JOI 本人の発言だ。前者は MP が未発表作は墓に入っているとそのまま語るのだが、後者は少し特徴的で、作品のかなり前半、JOI が “Professional Conversationalist”(プロ会話士)に扮して Hal と面談し、彼の気持ちを探ろうとするのだが (pp. 27-31)、その際、自身の頭の中に cartridge が移植されている、と伝えるのだ。また、小説の冒頭、病院に運ばれる Hal は、Wayne が見張り番をしている間に、Gately と一緒に JOI の墓を掘った、とほんの一文だけ回想する。作品の終盤では痛みに耐える Gately が Hal と墓を掘る夢を見る。Hal と Gately が本書に描かれない1年の間に JOI の墓を暴くことになるのだろう。しかし、Gately の夢の中では Hal が死体を確認した後、“Too late!”(遅かった!)と語るので、すでに Orin によって荒らされていたと思われる。
Hal と Gately の出会いは本書中には登場しない。この仮説が提示する、あり得る物語としては、資金調達のためのエキシビジョン・マッチの日、Hal はマリファナの離脱症状か、アイデンティティ・クライシスか、はたまた DMZ を盛られたか、とにかく病院に運ばれ、Gately と出会う。Orin の元恋人で Hal とも面識があり、Gately に恋心を抱いている Madame Psychosis が、U.S.O.U.S. から逃げてきて2人を出会わせる、というもの―ない線ではないだろう。JOI の頭に入っていたのは、小説内でその存在を疑われている、IJ 依存を無効化する “anti-Entertainment cartridge” だとする説もある(むしろ、こちらの説の方が早い。Orin 説の多くもこれに依っている)[37]。しかし、その場合、IJ のマスターコピーはどこから A.F.R. の手に渡るのだろう……Orin が別途入手していて尋問の際に引き渡す?後述する Antitoi Entertainment?或いは、全く違う経路?それから、根本的な問題として、JOI の頭はレンジで爆発したはずだが、無視してよいのだろうか?
Gately が M. DuPlessis から盗んだ cartridge の中にマスターコピーが入っていたとする説もある[38]。この cartridge 群は Antitoi Brothers という兄弟のやっているがらくた屋 Antitoi Entertainment に行きつく。それらを追っていたA.F.R. は店を襲撃する。Cartridge 一般について、マスターコピーの再生には特別な TP が必要で、通常の TP では何も映らない。Lucien Antitoi はそのことを知らぬまま M. DuPlessis の cartridge を通常の TP で再生し、2本、何も映らないものを見つけている。しかし、A.F.R. が Antitoi Brothers を殺した後に発見するのは通常の TP で再生される IJ で、マスターではない。Lucien が見た cartridge がどうなったかは、不明だ。Antitoi Entertainment はその後、A.F.R. の作戦本部になるので、いずれ発見されるのかもしれない。或いは、A.F.R. の襲撃の時点で、すでに誰かの手に渡っていたのかもしれない。
小説の最後と冒頭をつなぐ1年間の出来事の仮説は、他にもあると思う。しかし、残念ながら、DFW が死んでしまった今、真相を知るすべはない。まあ、生きていても書かなかっただろうが……。残された私たちにできることは、繰り返し読むことくらいだ。そして、少しググれば、作中で IJ をループ再生で見続ける被害者たちのような読者にたくさん出会う。
以上が、Infinite Jest のあらすじである。本書を通読する経験がちょっとでも伝われば、幸いだ。
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最後にタイトルについて、触れておきたい。Infinite Jest が Hamlet の台詞から拝借されたことはよく知られている。Hamlet が(JOI のように墓から頭蓋骨を掘り起こされる)宮廷道化師 Yorick を “a fellow of infinite jest” と表現するのだ。とりあえず “infinite jest” の意味を棚上げにすれば、“infinite jest” の男、或いは “infinite jest” の友、とも取れるかもしれない。それで、“infinite” は「無限の」とか「果てしない」という形容詞。本書を読み終わると、小説終盤、痛みを “Abide” し続ける Gately や、作中にたくさん登場する、1つのものを毎秒渇望している依存症者たちのイメージが湧いてくる。“Jest” は「道化」とか「戯言」とかいう名詞だ。では、Infinite Jest とは?
DFW は、最低でも本書において、いわゆるメッセージやテーマを直接的な言葉にすることには慎重だ。IJ を退屈にする行為だとは思うが、それでも彼の地の声を本書中に探すとすれば、Hal が Bob Hope を止めた後、E.T.A. の視聴覚室で噛み煙草を噛みながら、JOI の cartridgeをいろいろと一気見する場面に、少しだけ響いている (pp. 694-695)。そこで語られるのは、Hal の “loneliness” だ。DFWは “cliché”(使い古されたベタで安っぽい表現)を再定義し、生き生きと甦らせるのが得意で、多用されすぎてほとんど何も意味しない、この孤独という言葉も、あえて登場させられている。Hal は烈しい内省を伴うような強い感情を持ったことがない。彼にとって、歓喜や苦悩とは方程式の変数みたいな存在で、湧き起ってくるのではなく、他者の行動などから導き出されるものだ。Avril は Hal を内から外までぜんぶ知っているように振る舞うが、実際は、自身の抱く Hal 像を投影しているだけ。生前の JOI は Hal が内面の存在を繕っているのに気づいていた。JOI 自身も空っぽだったから見抜いてしまったのである。しかし、Hal は Y.D.A.U. の11月時点で “lonely” である。
三人称で紡がれるこのシーンの語り手によれば、2000年前後におけるアメリカにとって “anhedonia”(無快感症、快感消失)であることは “hip”(かっこいい、流行に乗っている)とされる。また、“hip” とはすなわち、思春期頃からアメリカ人たちを捕らえる、認められたい、受け入れられたいという欲望、さらには包摂されないことに対する深い恐怖に裏打ちされている。したがって、アメリカ人たちの “anhedonia” の化粧の下では、湿っぽいセンチメントが脈打っている[39]。ここにまず “jest” のニュアンスがある。シニシズムの道化としての “jest” である。しかし、タイトル中の “jest” の意味は、これに止まらない。Hal の “loneliness” はこのセンチメントを持たない点に起因している。真性の “anhedonia” である彼は、血の通った、人間的な渇望が恋しい。しかし、センチメントに満ち満ちた人間―例えば、Mario のような―を演じることはしない。Hal は言わば、“anhedonia” のふりのふりをしている、シニシズムの道化の道化なのである[40]。
なぜ、Hal は素直に内面の獲得に向かわないのだろう?理由ははっきりしていて、それが “hip” でないからである。小さな障害に思えるが、本書を執筆する DFW にとっては極めて重要なことだった。IJ がまさに書かれていた93年、彼は批評家のLarry McCaffery (1946-) と対談している[41]。DFW は “anhedonia” のシニシズムを現代アメリカの病だと考えていた。20世紀の中頃からさまざまな領域で近代的な価値観を解体していったポストモダニズムが事の発端だった。アイロニーやシニシズムはこの潮流の手段だったが、やがてそれら自体が目的と化してしまった。今や、パイオニアだった思想家や芸術家たちが建造したポストモダン・マシンのハンドルを回し、類似品を量産するだけの “crank turner” たちが、潮流の上辺のみを流通させている。最悪なのは、彼らのせいで、状況が間違っていると声にすることが恥ずかしいという点だ。インタビューを読む限り、シニシズムの超克と、人間性の回復は、明確に DFW のテーマであるが、「こうやって言いながら、活字になった時にどんなに間抜けに見えるか、怖い」。シニシズムの道化の道化 Hal が抱えるジレンマそのものだろう。
おそらく、ここに Gately というキャラクターが Hal と並置される理由がある。Gately もまた “jest” である。しかし、Hal とは違う。Gately は神の存在を疑っているが、熱心な AA メンバーで、毎日、朝と夜に祈りを上げる。また、AA には “Abide”(耐えろ)とか “Hang In”(辛抱しろ)とか “Starve The Spider”(クモを飢えさせろ[42])とか “One Day at a Time”(1日ずつ)とか、自己啓発書に登場するような、薄っぺらなスローガンがたくさんあるが、彼はあえてそれらを信じる。Gately は “hip” でないことを、そうと知りながら実践しているのである。神の存在も疑っているし、AA のスローガンも軽薄だと感じている彼が Demerol