戸山翻訳農場

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ゴム族の喜劇                       訳:増子久美

 ある者は、隠喩好きをのぞいて、猛毒ウパスの木の息吹を避けようと思うかもしれない。ある者は、大いなる幸運により、眼光で人を殺すバシリスクの目を潰すことに成功するかもしれない。またある者は、うまいこと三つ頭のケルベロスや百目のアルゴスの注意をかわすことさえできるかもしれない。しかし、何者であろうとも、生死を問わず、長首(ゴム)族の視線から逃れることはできない。

 ニューヨークはゴムの街である。むろん、脇目も振らず突き進み、金を稼いで、右にも左にも行こうとしない者たちも山ほどいるが、あの外来の火星人のように{[1]}、目と足だけで移動し続けるあっぱれなる集団がそこかしこに存在する。

 そういう珍しもの愛好家たちは、蠅が群がるかのごとく、たちまちにして、押し合いへし合い息切らせ、非日常的な事件現場を取り囲む。たとえば、作業員がマンホールの蓋を開けたとか、ノース・タリータウン{[2]}から来た男が路面電車に()かれたとか、男の子がお使いからの帰り道に卵を一つ落としたとか、あばら屋が一軒か二軒、地下道に陥没したとか{ [3]}、ご婦人がライル糸製の布の穴から五セント硬貨を一枚落としたとか、警官が自由主義をかかげるイプセン協会{ [4]}の読書室から電話機と競馬の予想表を押収{ [5]}したとか、デピュー上院議員{ [6]}やチャイナタウンの顔として人気のチャック・コナーズ氏が外気にあたろうとふらりと姿を現したとか――もしそういう出来事なり事件なりが起きたなら、かの「ゴム」族が、我先へと尋常ならざる勢いでもって現場に殺到するのをご覧いただけるであろう。

 ものごとが重大であろうがなかろうが関係ない。コーラスガール一人であっても、肝機能向上薬の看板書きの男であっても、ゴム族たちは同じように、興味津々と熱心に眺め入る。足が内に反り返った男を取り囲むときも、エンストを起こした車と同じように分厚い垣根をこしらえる。彼らは「ゴム熱」に憑かれているのだ。見ることを貪り、同胞たちの不幸を糧に肥えていく。小気味よげにしげしげと、目を光らせたり細めたり凝らしたり、災いという餌をつけた釣り針に、魚のようなぎょろりとした不気味な目を向ける。

 キューピッドなら、目で不幸を吸いとるそんなバンパイアは、冷血すぎて己の灼熱の矢も効かないだろうと考えそうなものだが、その矢に免疫をもつ個体など、この目と足だけの単細胞生物のなかにさえ見あたらないのではなかろうか? かくして、すばらしいロマンスがこの種族二人に訪れたのであり、彼らの心に愛が潜り込んだのは、ビール樽を積んだ荷馬車に轢かれた男が地面に突っ伏している現場に群がっているときだった。

 真っ先に現場に到着したのはウィリアム・ミツメールだった。彼はこのような集まりの達人である。満ち足りた表情で、傍らの被害者を見下ろすように、甘美な音楽に浸るがごとく、そのうめき声に耳を傾けていた。そんな見物人の輪がぎゅうぎゅうに膨れあがったとき、彼は正面の人だかりが荒々しくかき乱されるのを見た。人混みのなかを乱暴に突き進む何者かのせいで、人びとがボーリングのピンのようになぎ倒されたのである。まるでいきなり竜巻に襲われたかのように。両肘、傘、帽子の留めピン、鋭い舌鋒、指の爪がそれぞれの役目をまっとうしたおかげで、ヴァイオレット・ミタガーリは野次馬たちの最前列に割り込んだ。五時三十分のハーレム急行の座席を必ず確保できる屈強な男たちでさえ、ど真ん中まで猛進するヴァイオレットにやられて子どもみたいによろめいて後ずさった。大柄な野次馬婦人二人は、ロクスバラ公爵{[7]}の結婚式も見物していたし、劇場が建ち並ぶ二三丁目の交通を妨害する常連だったが、ヴァイオレットに打ち負かされて二列目に退き、そのシャツブラウスは裂けていた。ウィリアム・ミツメールはひと目で彼女に恋をした。

 救急車がキューピッドの使者である気絶した男を連れ去った。ウィリアムとヴァイオレットは、人垣が消えたあとも残っていた。二人は真のゴム族だった。救急車とともに事故現場を去るような者たちは、その首の進化において純粋なゴム族の系統とは言えない。出来事の繊細で絶妙な風味は余韻にある――現場をしげしげと眺めたり、向かいの家並みをじっと見つめたり、アヘンを吸ったときの高揚感をも上回る夢心地であたりをうろついたりしたときにだけ味わえるものなのだ。ウィリアム・ミツメールとヴァイオレット・ミタガーリは、惨事を味わうことにかけてはプロであった。あらゆる出来事から楽しみを存分に吸い取る方法を心得ていた。

 まもなく、二人は互いの姿をみとめた。ヴァイオレットには、首筋に五〇セント銀貨ほどの生来の茶色いあざがあった。ウィリアムの視線はそれに釘付けになった。ウィリアムのほうは、極度のがに股だった。ヴァイオレットはそれを舐めるようにまじまじと見つめ続けた。そんなふうにしばらく向き合ったまま互いを見ていた。礼儀上、口に出すことはできなかったが、ゴムの街では惜しみなく凝視することは許されていた、公園の木々も、同胞の身体的な欠点も。

 しばらくしたのち、二人はほっと一息ついて離れて行った。しかし、キューピッドだったのはビール樽を積んだ荷馬車の御者で、男の脚を砕いた車輪は、二つのうぶな心を結びつけた。

 ヒーローとヒロインの次の出会いはブロードウェイ近くの板塀の前である。その日は期待外れが続いていた。通りで喧嘩はないし、子どもたちは路面電車の下敷きにならないよう気をつけているし、不具や寝間着みたいなシャツを着た巨漢もいない。誰もバナナの皮でこけないし、心臓発作を起こす気配もない。自称元市長ロウのいとこで、タクシーの窓から小銭をばらまくインディアナ州ココモの評判の遊び人も姿を見せていなかった。見つめるものは何もなく、ウィリアム・ミツメールは退屈しかけていた。

 そんなとき、ウィリアムは広告看板の前で押し合いへし合いざわめく人だかりを見つけた。そこへと全速力で向かった彼は、年寄りの婦人と牛乳瓶をもった子どもをなぎ倒し、魔神のごとく野次馬集団に切り込んでいった。最前列にはすでにヴァイオレット・ミタガーリの姿があり、片袖が千切れ、金の歯の詰めものを二つ無くし、コルセットの金具が飛び出し、手首を腫らしていたものの、ご満悦であった。彼女はそこで見るべきものを見ていた。男が一人、板塀に文字を描いていた。「ブリックレットを食べよう――身も心もあっという間に大満足」

 ヴァイオレットが頬を赤らめたのは、ウィリアム・ミツメールに気づいたからだった。ウィリアムは、黒いシルクのコートを着た婦人の脇腹を肘で突き上げ、少年の向こうずねを蹴りつけ、老紳士の左耳をひっぱたき、人混みを搔き分けてようやくヴァイオレットの側まで進んだ。それから二人は一時間あまり、文字を書きつける男を見ていた。やがてウィリアムの愛は抑えきれなくなった。彼はヴァイオレットの腕に触れた。

「ついておいで。喉仏のない靴磨きがいる場所を知ってるんだ」

 ヴァイオレットは恥ずかしそうに顔を上げたが、まごうことなき愛がその表情を一変させた。

「じゃあ、わたしのためにそれをとっておいてくれたのね?」愛される女性として初めて感じる淡い悦びに身を震わせながら彼女は尋ねた。

 二人は連れだって靴磨きの作業場に急行した。そして一時間ほど、一緒に奇形の若者をじっと見つめていた。

 すぐそばで、窓ふきが五階から歩道に転落した。救急車が鈴を鳴らして近づくなか、ウィリアムは彼女の手を嬉しそうに握りながら、「少なくともあばら骨四本、それと複雑骨折だな」と早口でささやいた。「僕に出会ったことを悔やんではいないよね、愛しい人」

「わたしが?」ヴァイオレットは手を握り返しながら言った。「そんなことあるわけないわ。あなたとなら一日中だって首をゴムのように伸ばして見物していられるもの」

 ロマンスが最高潮に達したのはそれから数日後だった。読者のみなさまなら、黒人女性、あのイライザ・ジェーン{[8]}が召喚されることで街が陥ったすさまじい興奮ぶりを覚えておられるであろう。ゴム族たちは夜を徹して現場に張り込んだ。ウィリアムは勝手にイライザ・ジェーンの住居前に二つのビール樽を置いて、その上に板を敷いた。そしてヴァイオレットとともに三日三晩、座り続けた。ようやくにして、一人の警官がドアを開け、召喚状を手渡す事態となった。警官は映写機を取りに行かせ、それから実行した。

 同じ好みのこのような二人が長いこと離れたままでいることはできなかった。警官に警棒で追い払われたその晩、二人は結婚を誓い合った。愛の種はしかと蒔かれていたのであり、丈夫にすくすくと育った――それをこう呼ぼう、ゴムの木になった、と。

 ウィリアム・ミツメールとヴァイオレット・ミタガーリの結婚式は六月一〇日に執り行われることになった。街の中心に位置する大聖堂には、花がうず高く積み上げられた。世界中にはびこるゴム族たちは、結婚式にもわさわさ押し寄せる。彼らは会衆席に座る厭世家である。新郎をあざ笑い、新婦を冷やかす。彼らは結婚を笑いにやって来るのであり、死を司る青白い馬に乗って婚姻の神ヒュメンの塔から逃げ出す日が来たならば、彼らは葬儀の場にもやって来て、同じ会衆席に座り、その幸運に涙するだろう。ゴムはいかようにも伸びるのである。

 大聖堂には灯火(ともしび)がつけられた。グログランのカーペットがアスファルトの上から歩道の端まで広げられている。花嫁付添人の乙女たちは、飾り帯のよじれを整え合いながら、花嫁のそばかすについて噂していた。馬車の御者たちは、鞭に白いリボンを結びつけ、酒が飲めないこの時間を嘆き悲しんでいた。式長は、もらえるであろうお礼に思いを馳せ、自分には新しい上質黒ラシャのスーツを、妻には人気女流作家ローラ・ジーン・リビーの写真を買うに足りるだろうかと皮算用していた。むろん、キューピッドも上空を漂っていた。

 そして大聖堂の外では、いやはや、一般のゴム族たちがわんさと押し寄せ息巻いていた。人びとはグログランのカーペットをはさんで二手に分かれ、そのあいだに警棒をぶら下げた警官らが並んでいた。みな牛のように群がり、揉み合い、押し合い、揺さぶり合って踏みつけて、白いヴェールをかぶった、男が寝ている間にポケットをまさぐる権利を獲得した女を一目見ようとしていた。

 しかし、結婚式の時間になり、それが過ぎても、花嫁と花婿は現れなかった。苛立ちがやがて不安へと変わり、不安に駆られてあたりを探したが、二人は見つからなかった。それから、二人の大柄な警官が捜索に加わり、激高した野次馬の群れから、押しつぶされて踏みつけられた、ベストのポケットに結婚指輪をしのばせた人物を引きずり出した。続けて、逆上したズタボロの女も。彼女はカーペットの端までなんとか進み出ようとしており、ずたずたの服で、あざまでこしらえ、大騒ぎしていた。

 ウィリアム・ミツメールとヴァイオレット・ミタガーリは、習慣から抜け出せないゆえに、白熱した野次馬競争に加わってしまい、花嫁と花婿として自分たちがバラで飾られた大聖堂に入場するのを自分たちも見たいという激しい欲望に身を任せてしまったのである。

 ゴム族は、隠し通せやしないのだ。



[1]十九世紀末に話題になったH. G. Wells“The War of the Worlds”(『宇宙戦争』)で描かれた火星人を指していると思われる。

[2]}「首なし騎士」の伝説が残る町、スリーピー・ホロウの当時の自治体名。ニューヨーク州ウェストチェスター郡にある。

[3] ニューヨークに初めて地下鉄が開通したのは一九〇四年四月。建設中は穴への落下事故が多数起きていたほか、ダイナマイトで地下道を掘っていたため、死者を出すような陥没事故がたびたび起きていた。

[4] ヘンリック・イプセンは、「近代演劇の父」と呼ばれるノルウェーの劇作家

[5]二〇世紀初頭からいくつもの州で賭博を禁止する法律が作られ、ニューヨークでは一九〇八年に競馬が事実上禁止になった。

[6] ニューヨーク・セントラル鉄道の社長。演説の名手で人気の政治家だった。

[7]}第八代ロクスバラ公爵。ニューヨークの不動産王の娘と結婚した。

[8]この作品が発表された前年の一九〇三年に「Good Bye Eliza Jane」という歌がヒットしたが、関連は不明。