戸山翻訳農場

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Firmin by Sam Savage                     田中一成

 この物語の主人公、ファーミンは醜いやつで、鏡を見るのも避けている。性格もそんなに良くない。自分の前を歌いながら歩く母と姉に何かが落っこちてきたらいいのにと考えながら、もしそうなったら自分だけ助かろうと少し離れて歩く。そんな奴だ。いつもいろいろな妄想をして一人で楽しんでいるが、度が過ぎて段々現実と妄想の区別がつかなくなってくる。そして本ばかり読んでいる。そのせいで、やはり妄想はエスカレートしてゆく。

 

 本のほかに、彼が好きなものは映画だ。特にポルノ映画を好んでいる。彼は美しい女が大好きで、映画などで気に入った女優を「私の美女たち(マイ・ラブリーズ)」などと呼んでいる。「人生において、誰もが必要とするのは、たくさんのポップコーンと何人かの美女だけである」と、彼は言う。お気に入りの映画俳優はフレッド・アステアで、厚かましくも彼は、妄想している間はもっぱら自分がフレッド・アステアであると思いながら想像の世界を旅する。しかし実際にはボストンの本屋を離れはしない。ボストンのスコレースクエアに住む彼は、その地区が廃れ、破壊されてゆくのを憂いているが、彼にできることは何もない。

 

 本と映画を除くと、彼にはもう一つ趣味がある。覗きである。隙間から人を観察し、仲良くなりたい、自分の存在を認めてほしい、と思っている。いつも隙間から覗き見ていた本屋の店主、ノーマンと仲良くなりたい、できるならその本屋で働きたい、と考えるのだが、それは彼にとって容易なことではない。彼は話すことができない。そのため独学で手話を習得しようとするのだが、それもやはり思うようにいかない。彼にできる手話は二つだけ、「さようなら」と「ジッパー」。

 

 それでも彼は、自分が物事を理解しているのだということを人にわかってもらうため、たったそれだけの手話だけでも披露しようと勇気を出して人の前に歩み出ていく。人前に出て行くのは、彼にとって非常な勇気を必要とする行為である。照れ屋であるとか、あがり症だとかいうのではない。彼は一歩間違えれば人に殺されかねないのだ。彼はネズミである。

 

 ネズミであるファーミンの苦しみは、自分を表現できない、というところにある。彼は誰からも正しく理解されず、孤独に本を読み続け、妄想し続ける。しかし話すことも、手話もできず、誰にも彼の考えていることは伝わらない。いつまでも孤独に、妄想の世界に生き続ける。

 

 しかしそれは、彼がネズミだからなのだろうか?話すことができるとはいえ、人も結局、そのような悩みを抱えて生きているのではないだろうか。「ロンドンでは人はネズミのように死んでいった―そしてネズミも人のように死んでいった」これは彼の想像の中の情景だが、人も、ネズミも、同じように死んでゆく。自分を100%理解してもらえることなど、人間同士であっても、ないのではないだろうか。

 

 彼はいろいろな隙間から人間の世界を覗き見し続けていたわけだが、言ってみれば本もそのような隙間の一つであり、彼はその隙間を通して随分たくさんのことを学ぶ。しかしそうやって多くを知ることができたのは果たして彼にとって良かったのだろうか。本に書いてある知識を得ることで、同時に彼が苦しみも得てしまったことは明らかだ。

 

 元々ファーミンは生まれたばかりの頃、たくさんいる兄弟姉妹の末っ子で体も小さかったため、壮絶な乳首争奪戦に勝てず、やむなく周りに置いてある本(ジェイムズ・ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』!)の紙くずを食べて空腹をごまかしていた。そのせいで文字を読めるようになってしまったのだ。母親に乳首は一二しかなく、兄弟は一三いた。彼の求めていたのは一三番目の乳首だった。しかし代わりに彼が手に入れたのは本で、それによって生き延びもしたが、そこには苦しみもついてきた。本を食べることから、自分を受け入れてくれる存在を求める彼の一生涯の旅が始まる。居場所を捜すという意味では、彼は結局その一三番目の乳首を捜しまわっていたと言うことができる。しかし彼はそんな考察を自ら想像し、それに対してこう言う「それだけ?ほんとにそれだけ?」と。

 

 「『オペラ座の怪人』は、恐ろしい醜さゆえに人々から隠れて生きている偉大な天才の話だが、彼の一番に望むものはただある夕べに美しい女性を腕に抱き、大通りを歩くことだと言う一節がある、その辺の普通の市民と同じように。私にとってこれは文学の最も感動的な一節の一つである」と、ファーミンは言う。彼は孤独なネズミなのだ。ファーミンが最も近づくことの出来た人間、ジェリーも「ネズミに話しかけてしまうほど一人ぼっち」で、「心の中では何とも悲しい人」だとファーミンに称される。さらに「こんなにネズミ同然に暮らす人間を見るのは初めてだった」と言い、ファーミンはジェリーをひどく気に入るのだが、ジェリーの方はやはりファーミンを誤解する。

 

 『ファーミン』の冒頭は、ファーミンがこの本の書き出しに悩むところから始まる。トルストイのように、ナボコフのように、小説を始めたい。しかしそんなファーミンが、最も感嘆してやまない書き出しは、フォード・マドックス・フォードの『かくも悲しい話を・・・』の書き出し、「こんな悲しい話は聞いたことがない」なのだった。彼が書き出しに悩んだ末、改めて小説はこう始まる「こんな悲しい話は聞いたことがない」と。