月曜 14:45~18:00
木曜 16:30~18:00
金曜 18:00〜21:30?
ウエストサイド、六番街と七番街のあいだ、一本の路地が街区の中程を切り分けるようにして通っている。路地は街区の中心まで伸びたところで途絶える。その一角はまるで演劇の舞台だ。住人は数多の国から溢れ出したあぶく。空気はボヘミアン、言語は様々、土地柄は不安定。
その路地の突き当たりの穴倉みたいなところに菓子売りの男は住んでいた。
「1811年計画」によって、道路が碁盤の目状に計画整備されたニューヨークでは、袋小路は珍しい。そんな数少ない袋小路のなかでも有名なのが、西10丁目、6番街とグレニッチ街の間にある、Patchin Placeである。
Patchin Placeは、三方を建物に囲まれた路地。近くのホテルで働くバスク人従業員の寮として、19世紀半ば、路地に面した煉瓦造り3階建ての住居が作られた。その後、寮としては使われなくなったのだが、袋小路のために人通りが少なく、プライバシーが保たれることから、20世紀初め頃には、作家や芸術家が好んですむようになった。そのため、一帯にはボヘミアンな気風が形成されていった。
『ネメシスと菓子売り』で描かれた袋小路と、よく似た雰囲気だったのだろう。位置も作品中の記述「ウエストサイド、六番街と七番街のあいだ」とも符合する。また、O・ヘンリーも一時ここに住んでいた。同じくニューヨークを描いた作家ドライサー(Theodore Dreiser、1871‐1945年)も暮らしたし、ジャーナリストのジョン・リード(John Reed、1887-1920年)は、ここでロシア革命のルポルタージュ『世界を揺るがした十日間』を書いた。
プライバシーが守られるその空間には、今では、芸術家たちが集まったのと同じ理由から精神療法の診療所が集まっている。”therapy row”というニックネームも生まれた。
19世紀、街中に作られたガス灯は、ニューヨーク市内に二つしか残っていない。今では、そのうちの片方しか点灯していないのだが、その点灯する方がPatchin Placeの突き当りにある(ただ、電化されている)。周囲の建物も、20世紀初めと変わっていない。
(有好宏文)